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2015年02月18日00:39

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そこにしか聞けない音があると思う時、やっぱりぼくはそこに足を運ぶのです・・・札幌交響楽団 東京公演

極道親父、ここに極まれり。

東京 サントリーホール
ホクレン クラシックスペシャル2015
札幌交響楽団東京公演
尾高忠明指揮 札幌交響楽団
シベリウス:交響曲第5番変ホ長調 作品82
シベリウス:交響曲第6番ニ短調 作品104
シベリウス:交響曲第7番ハ長調 作品105
アンコール アンダンテ・フェスティーボ

僕にとっては、夢のようなプログラム、そして望みうる最高の指揮者とオーケストラ。それを、聴きに行かないなんて

あり得ない

でしょう。

実は、1年前から計画を練り、一時は、有給をとって札幌の定期公演を2日とも聴きに行くことまで考えたのだが、流石に断念。それでは、と、ウィークデーコンサートとなった東京公演、終演後品川に移動しての宿を取り、ギリギリ翌日の始業に間に合うような完璧な計画を立てたものの、あまりのタイトなスケジュール、今日から明日にかけて東京に雪が降るとの予想に、実は真っ青。急遽リスク回避に舵を切り、昨日から色々と検討し、最終の新幹線で名古屋まで移動して雪を回避、雪が通り過ぎた関ヶ原を明日の朝の始発で通過して、何食わぬ顔で定時に出勤することとした次第。

ここまでやるか、と思われるでしょう。でもね、

ここまでやるに値する音が聞けたんです。そう、この音が聴きたかったんだ、僕は。

7番が出色・絶品、震える程の演奏。僅差で5番が次点、豊穣の極み。その響きにこの身が解放される幸せ、無意識に顔がほころぶ。6番は、厳しい厳しい演奏。これほどまでに難しい曲だとは思わなかったが、生まれて始めて聞く大好きなこの曲のライブ、一生忘れることはないだろう。

この三曲、今日通して聞いて改めて痛感したのは、外から形式だとか物語だとかを当てはめて形づくられたものではなく、まるで植物のように、内的な必然性に従って「変態」「変容」して行く音楽なのだな、ということ。だから、オーケストラの響きも、その「変態」と「変容」の生成に沿って行かねばならないが、それは容易ではない。

尾高・札響には迷いはなく、この音が唯一無二と思える至福の響きを聞かせてくれる。ある時は独特のぬめりを身にまといながら海の中から立ち上がる巨神がごとくに、またある時は煙霧の中に茫洋と浮かび上がる太陽の輪郭のように、変幻自在なサウンドを聞かせるブラスセクションの秀逸さ。その一方、すうっと通るようでいて、何処か蒼い翳りを湛えるストリングセクションの質感の心地よさ。

7番の最後、弦の絶叫の後に残された「響きのコア」が、ホルンによって溶けて行く時の美しさを、どう表現すればいいだろう。

そして、アンコールのアンダンテ・フェスティーボの芳香・・・・またこの音を聴きに、僕はいつか北の大地を目指すのだろう。



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