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2015年02月16日10:50

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半世紀後に届いた遺産

 
 ソウル・スターラーズとヴァレンティノズの、SAR 録音のコンプリートアルバムが、やっと届いた。
 前者は33曲、後者は23曲、未発表曲もそれぞれいくつか入っている。 ほとんどがクック自身のプロデュース、彼が書いた曲もかなりあり、私にとっては、フェイム録音のお蔵出しなどより、興奮度が高い。
 特定個人のキャラに起因するとおぼしき特殊な事情さえなければ、2〜30年前にリイシューされていたはずのものだが、その遅れの幾分かは、詳しいライナーノーツ (たしかその昔 『Living Blues』 のライターだったビル・ダールによる) が埋め合わせている。

 このスターラーズの 『Joy in My Soul』、超名盤かと聞かれたら、"!"つきで「そうだ」とはいえない。
 サムの手になる、当時としては画期的だったゴスペルのポップ/ソウル化は、まだ過渡的実験って感じで、だからたぶん今にしてみればやや中途半端。
 なにしろ、1959〜64年の録音だからね。
 でも、クックの後釜のリード歌手たちは、みんな実力派だから、あの系統のゴスペル=ソウルの歌唱が好きな人には、聞きどころ満載といっていいはず。
 ただ、「クック後」のスターラーズのリード歌手の出入りは、かなり錯綜しているので、今更と思う人もいるだろうけど、メモ代わりにその代々を再整理しておこう。

●まず、モダン・ソウル歌唱の父といっていいい、レバート・H・ハリス。 スペシャルティ時代の初期には、この人の独創的なテナーと、ポール・フォスターのときに激しくシャウトするロウ・テナー/バリトンの二本立てが、グループの売りだった。
 ちなみに、こうしたゴスペル歌唱での、二人のリード歌手の掛け合い部分だけが独立したのが、60年代のサム&デイヴらのソウルデュオだといっていい。
 ハリスは、1950年にスターラーズを離れる。 離れた後も2000年に亡くなるすぐ前まで歌い続け、ゴスペル・パレイダーズ (SAR に録音がある) やクライストランド・シンガーズ、マソニック・クインテットなどのリード歌手として、ゴスペルカルテットの世界で尊敬され続けた。

●ハリスの後に、大有名カルテットのリード歌手の座を受け継いだクックは、ご存じの通り、スターラーズのメンバーが根拠地のシカゴで、自分たちのジュニア・グループとして育てていたハイウェイQCズのリード歌手だった。
 大抜擢されたクックの、スターラーズでの最初のステージは、1951年1月のアーカンソー州パイブラフでのものだったとか。 彼の20歳の誕生日のすぐ前か直後ね。
 たちまち人気者になったクックは、スペシャルティにかなりの録音を残したあと、1957年の「You Send Me」 (弟のL.C.にクレジットされているけど自作曲) のヒットを機に、スターラーズを離れ、”ポップ歌手”になる。
 いや、1956年に Dale Cook 名義でスペシャルティから出した「Lovable」のあたりから、スターラーズを離れてたのか、このあたりは、クックの伝記で要確認。
 ダールのライナーで、リロイやアーサーなどのクリューム兄弟をスターラーズに引きこんだのは (これが70年代のスターラーズ分裂の伏線になる)、クックだということがわかったのは、大きな収穫だった。 クックは、グループ加入の条件として、リロイ・クリュームにギター伴奏させることを求めたんだって (弟のL.C.談)。
 とても大抜擢をまえにしたはたち前の子とは思えない、強気っていうか、ある意味生意気な態度。 やっぱり只者じゃないと思わせる。
 あ、そうそう。 クック在籍時に、センセーショナル・ナイチンゲールのリードで、ウィルソン・ピケットをはじめ多くのソウルのシャウターに影響を与えたジュリアス・チークスが一時グループに加わってて、少しは録音も残ってたはずだけど、時期とかの詳細は確認できていない。

●クックの後釜に、しかし、R・B・ロビンソンを始めとするスターラーズの面々は、困らなかった。
 ハイウェイQCズのリードに、クックそっくりに歌えるジョニー・テイラーがいたから。
 アーカンソー生まれのテイラーは、シカゴに出てきて、ドゥーワップグループ、ファイヴ・エコーズのメンバーとして、1954年にヴィー・ジェーで録音。 翌年、同じレーベルで録音したハイウェイQCズのリードとして、「Somewhere to Lay My Head」をクックそっくりに歌っている。
 じつは、ジョニーが加入するまえに、スターラーズは一時、ジョージアから、”リトル”・ジョニー・ジョーンズを連れてきて、リードを取らせていたらしい。 しかし、ジョーンズは、都会の水が合わなかったのか、ホームシックになって、故郷のオーガスタに戻ってしまう。 これが1958年初頭のことで、ジョーンズはそのあと、スワニー・クインテットのメンバーとして活躍し、ジェイムズ・ブラウンのレビューで前座を勤めたりする。 その後、自分のグループを率いたり、ジュウェルでソロ歌手としてソウルを録音したりしたあと、わりと最近に、スターラーズのリユニオン企画に参加したりもしている (マラコだったっけ、要確認)。
 このジョーンズを挟んで、1958年の3月には、テイラーが正式にスターラーズのリードになり、スペシャルティに、名唱「The Love of God」を録音。 ところが、翌年のいま一度のセッションのあと、スペシャルティのアート・ループはグループとの契約を解除した。
 で、その直後に、このアルバムに収録された SAR 録音期が始まるわけだけど、だいぶ長くなった。 そろそろ出勤しなきゃならないので、この続きは、次のエントリーで。

 May the stirring soul be with you. (何のこっちゃい?)
  

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