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2014年12月27日01:17

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いじめる者は

ぼくは40歳男だが、中学校時代、はじめはいじめられていたのかもしれないが、最後にはリンチを繰り返される事に至った。
いじめと言う括りからは外れていると認識しているし、ぼく自身は、非常に好戦的で、運動や格闘を経験し好きであり、喧嘩も自ら行うタイプなので、記事上のいじめにはあてはまらないかもしれないが。

少人数からいじめられ、それに勝つ、克服する。
すると、相手がより増える。
更にそれにも勝つ、克服する。
すると、手段がえげつなくなって来る。
それにも勝つ、克服する。
すると、上級生が出てくる。
それすらも勝つ、克服する。
すると、大多数が登場する。
これに勝てずとも、克服出来ずともやられ続ける。
すると、暴走族が出てくる。
チンピラも出て来て、やられた。
これは死ぬ、心底そう思った。
そこで逃げた。
誰も追い掛けて来なくなるまで逃げ続けた。
逃げるが勝ち。
結果的には、今、そう言える。

けれども、逃げた、と言う選択をした事実や、逃げた事で完全敗北を喫する事実は、これで勝てたところで、拭えず、今も拭えない。
やはり完全勝利が理想だ。

逃げの無い、負けの無い人生が望ましいと言うわけではなく、あんな愚かで醜く汚い、酷く脆く弱く、自分を持たず獣や蟲にも劣る者に敗北を喫し、逃げ続ける己が憎い。
屈辱、と言うやつだ。

まあ、あそこで勝つには全員殺すしかなかったけれども、それをやると、人生を終えなければならないのだから、それが本望かと言うとそうではないので、選択としては、逃げを選んで良かった。
彼の者共は今不幸に見舞われている者も居ると聴く。

その者たちの事を思ったり、その家族の事や未来の事を思って殺さずにいて良かった、と言う事ではない。
そんなのは別に構わない。
法に問われなければそんな連中は殺しても構わない。
素でそう思う。
別に興奮したり狂気に照らされて思っているのではなく、ナチュラルに、罪悪も負の感情も負わずに。

いじめる者は、そのくらいの事は思われる事を覚悟し、箍が外れた場合、このような気持ちで平気で殺しにやって来る事を少しでも想像してからいじめをするんだなあ。

ちなみに、ぼくがいじめていて、それに気がつかずに報復されていた、と言う事もありうるかもしれない。
もちろん、ぼくはそうは思っていないが。

■靴に画びょう、給食に髪 女児12人がいじめ繰り返す
(朝日新聞デジタル - 12月26日 13:37)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3202761
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