これは可哀想だなあ。
【悲劇】イギリス人のボッチが自殺・・・・・
http://news4vip.livedoor.biz/archives/52060633.html
ネットの悪口をいちいち真に受けることもないと思うのだが、ボッチだから他に話せる人がいなかったのだろうか。コメントしてくる人だけが唯一コミュニケーション取れる人だったのかもしれない。一生懸命に創作活動していた人が自分の居場所をどこにも見つけることが出来ず誰からも拒絶される姿を見るのはちょっとキツい。
ところで、この方のYoutubeを見ると自作の物語を朗読してるけど、なんで朗読だったんだろ?動画の説明のところにこの物語のテキストの書いてあるサイトがリンクしてあるけど、朗読ってところがよく分からないんだが…。本にすりゃいいのに(欧米なら簡単に出せるようだし、電子書籍ならもっと簡単に出せる)。よく知らないけど、もうイギリスでは本はメディアとしてすっかり駄目になってるのだろうか。
だいぶ前にも書いたけど僕は朗読ってのがいまいちよく分からない。子供の頃からラジオをよく聞いてたくせに、おまけに落語も好きだったくせに、朗読となるといまいちぴんと来ないのは何なんだろうか。学校でやらされたトラウマか?
以前、上野茂都がライブでよく朗読をやってたけど、あれをどう鑑賞せよというのかよく分からなかった。露伴の「五重塔」などの講談っぽい文体のものの朗読が多かったけど、内容は知ってるし読むのは最初の方だけだし・・・なんなんだろう?ってずっと思いながら聞いてたものだ。たいていは退屈すぎて途中で眠くなった。
グレン・グールドはカナダのラジオで漱石の「草枕」(英題:Three Cornered World)の最初の章を朗読していた(web上でも聞ける)。ラジオでわざわざ本を朗読するっていうのもいまいちよく分からないんだが、日本のラジオでも昔からこういうのがあるのは知っている。
だいぶ前にいたマイミクでテレビ番組のナレーター等をやってる役者さんがいて(もうとっくにミクシーをやめてしまった)、その方も自分のサイトで本の朗読などをアップしてたけど、どう鑑賞していいものかよく分からなかった。「草枕」も朗読してたのだが、文字通り草枕を朗読しているってこと以上のことしか分からず。
CDでも朗読CDというのが昔からある。朗読名人ってのもいるんだろうけど、このジャンルは皆目分からないもので、誰が誰やらさっぱりだ。「草枕」のCDを買おうと思ったこともあったけど、買ったところで草枕を朗読してるだけなんだよなあと思うと、やっぱりいらないかなと思って買うのをやめた。
青空朗読というサイトがある(
http://aozoraroudoku.jp/ )。青空文庫にある文章を朗読するというサイトで、どれも気軽に聞けるようになっている。で、僕なんかが聞いてもやっぱりただの朗読にしか聞こえない。シロートとして意見を言わせてもらえば、どれもこれもテンポが遅すぎて内容が頭に入って来ない(べつに内容を伝える為に朗読してるわけじゃないんだろうが)。どうせ読むならもっとテンポよく読んで欲しいし、古今亭志ん朝のようにノリよく進めて欲しいとか思ってしまうんだが、そんなことを平気で言ってしまう僕はおそらく何も理解していないんだろう。
そういえば古今亭志ん朝はモダンジャズが大好きだった人で、よく夜中にヘッドフォンで大音量で聴いてたそうだ。林家正蔵(こぶ平)もジャズマニアとしてよく知られる存在だ。落語家は何故かジャズファンが多いと昔から言われている。落語のアドリブとジャズのアドリブの関係は昔からよく言われることだが、落語家のしゃべりのテンポやノリはジャズのスウィング感と共通するものがあったりするのだろうかと不図思った。
話がそれた。最初に戻る。この自殺してしまったイギリス人、自分で創った物語の発表場に本や電子書籍というメディアではなくYoutubeを選ぶ(しかも朗読で)ってところがなんか不思議なんだが、ひょっとして今の欧米では物語という形式のものは本や電子書籍などよりもYoutubeのほうがより多くの読者(鑑賞者)を得られるということなんだろうか?
Youtubeの場合はコメントという形で即座に反応を見ることが出来る。双方向のやり取りが手軽に出来るっていうのは、他者とのコミュニケーションを求めている人にとっては便利なのかもしれない。このイギリス人、コミュニケーションが苦手で友達がいなかったということだが、だからこそ双方コミュニケーションの場としてYoutubeを選んだのだろうか。本だったら一方向だけだし。
小説でも絵でも音楽でもそうだが、創作というのはコミュニケーション願望なのではないか。コミュニケーションの相手は必ずしも人間とは限らないが。コミュニケーション願望の現れとして創作があるっていうのは実は20年以上前に僕が考えたことなんだけど、今でもやっぱりだいたい同じように考えている。商売目的で創作する人の場合は全く違うけど(別にそれが悪いと言いたいわけではない)。
主流となるメディアは時代によって変わる。僕が小学生の頃は本とテレビとラジオだった。今はスマートフォン、Youtubeやニコ動、あとゲームとかもそうなのかな(僕はスマートフォンを持ってないしゲームもやらないけど)。かつて漫画家だった人がいつの間にか絵本作家になってたなんてことがある。漫画家のタナカカツキは今じゃ一体なんの人なんだか分からないほどにいろんなメディアで作品を出し続けている。小説家だった人がゲームのシナリオライターになるなんてこともあるだろう。自分の主戦場であるメディアを固定してしまうとそのメディアが衰退したときに一緒に衰退していくことになる。メディア間のフットワークは軽いほうがいいんだろうな。
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