「同人紙800 「姉の力」掲載記念 続編「預流の胎(よるのはら)」冒頭部分」
「オリジナル小説「姉の力」」
最近の血圧&ユメの報告のつぶやきで、意図的ではあるのだが、「〜のであった」とコトバを区切ることを多用している。
これは一種のトレーニングであって、目下取り込み中の異常事件シリーズが完結した後の、ほんとうに書きたい、あるいは絶対に書ききらねばならぬ作品を仕上げるためである。
それがプロトタイプである「姉の力」を元にした、「預流の胎(よるのはら)」だ。
冒頭で、
私は見えないものを見るのが好きだった。
空からひらひらと舞い降りてくる雪の結晶を黒い紙の上に乗せて見るのが好きだった。
従姉の淳子と妖しいものを見たふりをしあうのが好きだった。
と、〜だった。を繰り返しているが、私はこれをマイケル・ナイマンの毒々しい反復音楽のように、意図的に執拗に繰り返していきたい。そのための、〜のであった。の素振り修練なのである。
「姉の力」では、
「あたしたちは遊びの中でも、迷路がとりわけ大好きだったわね」と淳子。
「そうだね、藁半紙によく迷路を書いて、一緒に競争したね」と私。
「何であんなに迷路が大好きだったか考えてみたことある?」
「謎解きがお互い大好きだったから?」
「そうね、でも、謎を解くのが好きだったんじゃなくて、謎そのものが大好きだったのよ。迷路も抜け出すよりも、迷路そのものが大好きだった。あたしたちは、謎そのものであり、迷路の中に棲むミノタウロスそのものなのよ。そう考える方が自然だと思わない?」
私と従姉の会話を数パターン用意して効果的に落としていたが、特にこの会話のなかに〜だったの言い回しが無意識に多用されているのに気づき、私はかなりリズムを重視して書いているのだと自覚出来た。
それなら「預流の胎(よるのはら)」は棕櫚三号の「Boy Lights Fire」で見せたドライヴ感をさらにおしすすめて、しっとりとした反復文体にしていきたい。
従姉も私も生けるドラッグだった。
そのドラッグが書く文章は“蒸溜”、“精製”されている以上、読むだけで社会復帰を困難にすることだろう。
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