Twitterで出回っている、小説の書き方だそうである。
笑わせる。
大体、ラクチンに書けるものなど、読む価値がない。
極端に言えば。
書き手も読み手も苦しみ悶えながら作品と向き合うのだ。
そうでなければ書く、読む価値がないのであり、また面白くない。
従って、最近の私は、オチも書きたいシーンも分からないまま、決めていないまま、自動書記のように書き出すやり方をしている。
佐世保事件をモデルにした「夏の二人」は、少女の狂気を描くのか、父親を含めた家族の歪みについて切り込んでいくのか、全く決めていないまま、あの冷たいまなざしを持つ自画像の制作をアタマのなかで何度も追体験している。その反復作業で、つまり、地道な苦労のなかで、今までに見たことも読んだこともないような文章を私自身の脳のなかから発掘し続けている。
日本語が出来ていれば、小説など作文の延長で、誰でも書ける。
その誰でも書けるものをラクチンに書く方法を編み出したからといって、それは自分がいかに何も書いてこなかったか、また、何も読んでこなかったかを曝け出すだけである。つまり、君の人生は恐ろしくつまらないのだ。
つまらない人間が書いた小説など一体誰が読む?
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