私の小説の書き方はますます特殊なものになっている。
長ったらしいクドクドした文章の羅列に背を向けて、直接的、直感的、そして何よりも視覚的なデザインにこだわり続けている。
極端に言ってしまえば、ひと目見ただけで長編小説を読んだ直後と同じくらいの情報量をコトバのなかに詰め込みたいのである。
その表現の技術はアングロサクソンのデコレーション(上に貼った三枚の画像がそれ)など、コトバが今みたいに豊かではなかった頃の意匠を見習っている。
コトバに意味を持たせたいなら、レトリックよりコトバ自体の配置に気をつかうべきだ。
今の時代、ラノベでも長ったらしい文章をわざわざ苦痛に耐えて読む必要は急速に薄れつつある。みんな表紙の萌え絵だけで買っているからだ。それならば、文章自体に視覚性を持たせた方が、三島由紀夫が最も恐れた日本語の美の終焉を避ける手段のひとつになるであろう。
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