http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=6421
ミスラ君が説法のいいテーマが思い浮かばないというので、「回光返照(えこうへんしょう)」はどうかと提案した。一般に言われている意味については以下のサイトをご参照あれ。
http://kotowaza.avaloky.com/pv_yoj025.html
私はどんな大悪人でも、例えサイコな猟奇殺人犯でも、死ぬ直前に何かひとつ善き行いをすると考えている。
そうすることで罪悪感から逃れるという打算的な理由以上に、人間として本質的に備わっているものなのではないか。
例えばエリッヒ・フォン・シュトロハイム監督の最高傑作「グリード」のラストで小鳥を愛する主人公は絶望的な結末のなか、鳥籠から小鳥を逃がす。
漫画では白土三平先生の「サスケ」で意地悪女が死ぬ前に小猿に乳を飲ませる。
他の作品でも似たような行為は見かけられる。
自分というものが終わる直前、自分を照らす夕陽のような紅い光。この偉大なる意識変容。
小説ではレイ・ブラッドベリが「万華鏡」のなかで美しく表現している。
宇宙船の事故で宇宙空間に投げ出された宇宙飛行士が死の恐怖から次第に何かいいことをしたいと考えるようになり、自ら親子の目に映る流れ星になるという話だ。
もうひとつ思い出したが、ペール・ラーゲルクヴィストの小説「バラバ」も、キリストが磔になる代わりに放免された悪人バラバが迎える最期も胸に迫るものがある。
人は死んだら天国へも地獄へも行かないのだ。文字通り、そのまま「終わる」。だからこそ、終わる前にきちんとカーテンを引いたり、幕を下ろしたりする行為だけは果たしたい。そういう心構えが我々の心の奥底に生まれる前からインプットされているのかもしれない。
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