mixiユーザー(id:1640816)

2013年04月11日21:30

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視覚としての文章。

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ボイスで紹介したグリッチ・アート。

グリッチ・アート

http://www.osadagenki.com/gvgas/ja/about-glitch-art/

実はここ最近のものではなく、ビート・ジェネレーション、つまりケルアックやバロウズ、ギンズバーグが活躍した世代からすでに現出していた。バロウズが始めたカットアップは文体を視覚的にグリッチ・アートに転用したものとも言える。

カットアップ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97

ここでビート以前のシュルレアリスム運動はグリッチ・アートとは無縁かどうかを考えてみなければならないが、ブルトンがそうであったように自動的に自分の内部風景を表現する手段と比較してみると、グリッチ・アートはあくまでも人為的な手段なので(偶然のエラーも含めて)、人為的に文章を切り刻むカットアップを元祖と考えるのが自然と思われる。

そしてバラードの「残虐行為展覧会」の文体にも見られるような、計算されたエラー文体はもうすでに古典文学の域に入ろうとしている。
バロウズは1914年の生まれ(我が国でいえば角田房子と同年代)だし、バラードは1930年の生まれ(西村寿行と同年代)である。しかも二人とも死んでいるし、最前線にいる作家たちはほとんど文体を視覚的に崩す表現に挑戦していない。

主に――映像の分野で時々思い出したように――面白がるという動機で行われるだけだ。

視覚的に世界がどう見えるか。それに徹底的にこだわっていくと、ありのままに見える世界をもっと見ようとして解体する行為に及ぶことがある。意味を考え、色彩を裏返してみたり、角度を変えてみたり、見せ方をもっと分かりやすくしてみたり・・・
つまり、人為的に歪ませる表現は、人間の感覚にとってあくまでも自然な行為であり、ヴィジュアル・レトリックのひとつなのである。

ヴィジュアル・レトリック

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF

グリッチ・アートに沿って、文体も同じように歪められないだろうか?
バロウズのカットアップ、フォールドイン、バラードの濃縮小説の先へ行くことが出来ないだろうか?
純粋に文藝の方面で追求するなら、私はこういう挑戦をしたい。

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