★ :*:・' Dec. 28
「社会主義」は決して悪いものではない。それは「キリスト教」が悪いものではないのと同じだ。・・・実際、キリスト教と社会主義は似たようなもので、ひとつの社会を理想として持っている。それは、男も女も子どもも、すべてが平等で、飢えることのない社会だ。(P.23)
"Socialism" is no more an evil word than "Christianity." ・・・・Christianity and socialism alike, in fact, prescribe a society dedicated to the proposition that all men, women, and children are created equal and shall not starve. (P.11)
カート・ヴォネガットが羽根をくれた。
それとも、羽根があることに気づかせてくれた、かな。
とにかく、カートおじさんのおかげで、背中のあたりがほぐれたにゃ。
これからは、信仰についても、もっと率直に話していこう。
五年ほど前(2008.3.30)に、信仰告白みたいな日記
「な泣きそ、神様」 を書いた。(キリスト教的・ユニテリアン・ユニヴァーサリズム的に、神様を信じていること、など)
以来、気持ちはどんどん軽くなってきていた。
それでも、新しい誰かに伝えるのに勇気がいるのは、乳がんの手術跡のことでも、アルコール依存症のことでも、ディスレクシアやパンセクシュアルだってことでもなく、いつも信仰のことだった。
神様について話すたびに、(いわゆる知識階級の人たちから)呆れられたり、馬鹿にされたり. . . 悲しい思いをしてきたから、どうしても身構えてしまうのだ。
ケン・ウィルバーがいうところの「衣装棚〈クローゼット〉の中で祈りを捧げ続ける」癖が抜けきっていない。
「な泣きそ、神様」では、そのあたりのことを、ごくごく個人的な問題として書いている。
けれど、ほんとうは、それは、宗教や信仰心を持っている人の多くが抱えている問題のわけで. . .
(わたしは何でも個人的なこととして話す。それって、批判や論争を避けるための「逃げ」なんだ。)
そろそろ、自分だけが楽なのでも「まあいいか」な場所からは、飛び立たなくちゃ。
『国のない男』の、どのページからも. . .
ヴォネガットの声が聴こえてくるみたいだ。
―― きみには、ちゃんと翼があるじゃないか。
カートおじさん、ありがとう。 (^-^*)♪
◇ 今後の参考文献:
『インテグラル・スピリチュアリティ』 春秋社 by ケン・ウィルバー
とくに 第9章 コンヴェア・ベルトとしての宗教
「テロリズムのサイコグラフ」 「レベルとラインの混同」 etc.
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