そこで日本人にとつての日本とは、戀の對象にはなりえても、愛の對象にはなりえない。われわれはとにかく日本に戀してゐる。これは日本人が日本に對する基本的な心情の在り方である。
上にあげたのは、三島由紀夫の言葉である。
日本人の恋愛観をセルフ・サクリファイスと欧米向けに説明していた三島にとって、愛国心ほど的外れなものはなかった。
それを来月の二十五日の憂国忌に烈士と奉るのは、結局、三島を何ひとつ理解していないということなのだ。
分かりにくければ、日本を言葉に置き換えて、言葉は恋の対象になりえても、愛の対象にはなりえないと頭のなかに一筆書き写してみるがいい。
言葉に恋し続けるということ。
この姿勢を貫いた作家で、われわれは三島以上に寺山修司を思い出すだろう。
愛は枠にとらわれがちである。
下世話に言ってしまえば、ファックすることしか知らない。
しかし、恋はファック以上に素晴らしい何かがある。
これはもう一歩踏み込んで考える価値がある。
つまらないことで言い争ったり、愚痴を垂れたりして安っぽい愛をふりまくよりも、自分自身がどれだけ言葉に恋することが出来るか・・・
それを示すことにTwitterやmixiなどを利用出来る人を私は尊敬したい。
せっかくのネットツールなのだ、言葉の彫塑に役立てる方がずっといい。私もとよさんのように突然いなくなってしまったら、ネットでのおつきあいしかない方々にとって、私の言葉そのものが私の墓標になるであろう。
そのためにも私は自分の言葉がどこまで恋心を刺激するか追求しなければならないのだ。
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