私とオヤジは意味もなく喧嘩ばかりしていたが、オヤジも祖父と喧嘩のみというコミュニケーションをとっていたようだ。今は亡き寺男、木村さんの証言によると、少年時代のオヤジは内気な子で、色気づくと外国人モデルのヌードピンナップを手に便所にこもって自慰する、それくらい内向的だったという。
初めて聞いた時、フツー、男の子ってえのはそんなものじゃないんですかねと返したら、木村さんはにやっと笑って、祖父は便所にこもってせんずりたあ珍宝が腐っちまわあ、男なら縁側に仁王立ちになって庭石まで飛ばしてみろ、この野郎と怒ったと聞かせてくれた。実際、自らお手本を見せたのだそうである。六十近くになっていたから庭石までは飛びませんでしたがね、と笑う木村さんを見て苦笑いしつつ、オヤジがそんな祖父に反抗して、寺を飛び出してグレたというのは実に納得出来た。
祖父と私は人前で珍宝を出しても恥じないが、オヤジはそれなりの羞恥心があった。その羞恥心を覆い隠すためにツッパリ出したのである。ケンカを繰り返してステゴロの何とかと異名をとるようになって、バーやスナックの用心棒をしながら正式に暴力団に入ろうと機会をうかがっていた。しかし当時のヤクザというのはケンカが強い人間よりも、祖父のように人前で珍宝をご開帳して、ぶっとい血管を浮き上がらせて勃起出来る人間の方を好んだので、オヤジはせいぜいチンピラ扱いだった。
それで最近知ったことではあるが、押入れに道具を隠し持っていた罪で三年ばかり別荘暮らしをして、イロイロ諭されたのだろう、憑き物が落ちたカオになって(当時の私は修行の成果だと思っていた)、まじめに住職を継いでまじめにお寺の仕事をするようになった。
オヤジは私が聴覚に障害があると分かるとホッとしたようだ。というのは、隔世遺伝というやつを信じていて、自分の息子が父親に生き写しとなると、とってもじゃないがやってらんねえと嘆息していたからだ。だからハンデがある分、自分以上に内向的な子供になるだろう、そんな息子に父親がやったように、豪快にハッパをかけるのだ・・・
しかし、私はハンデがあっても祖父に生き写しであった。生まれつき、負けず嫌いでケンカっ早く、食欲、性欲が旺盛で生きているだけで楽しくてたまらないというような子供だった。何とかして父の威厳を見せて押さえつけようとしているうちに、幼稚園のお泊まり会で泊まった先の女の子を友達と一緒にハダカに剥いてジックリ、スミズミまで観察したという苦情を受けたオヤジはもう手遅れだと悟ったらしい。
後はもう、親として壁になって立ちはだかるだけである。
何かっつうと、ゲンコツ、キック、果ては仲見世で買った模造刀で斬りかかるという暴力を働いた。今だと確実に虐待で別荘生活再スタートものだったが、私は小さい頃から大人の力にかなわなくても反撃してきたので、親子ゲンカが私たちの親子関係だった。
口でクドクド、グチグチ言う前につかみ合い、殴りあう。
最初はオヤジの方が強かった。しかし中学生になってオヤジの身長を頭ひとつ超えた時は、互角を一気に飛び越えて、私の圧勝に終わる結果が増えた。糖尿で弱って、さすがに全力でヘッドロックをかけにくくなっても、向こうは常に大声でてめえこの野郎である。オヤ相手に何手加減してんだバカ野郎、なめんじゃねえ・・・
柳橋病院で最期を看取る直前も、オヤジは私にビンタを食らわして挑発していた。そのビンタはすでに力のない、触れるか触れぬかのものだった。
父とはそういうものなのだ。息子と常に真っ向から向かい合わなくてはならない。
背中を向けてこそこそと丸めてゲームに没頭するようなオヤジであれば、遠慮なくボマイエを食らわせてやれと説いている。
後、誰のおかげでメシが食えてるんだとお決まりのセリフを吐くオヤジも同様に全力で殴り飛ばせ。そんな言い分で無理やりケリつけるような大人は子供にとっては生きるに値しない卑怯者なのだ。
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