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2012年08月13日19:42

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映画「ゆきゆきて、神軍」、奥崎謙三という名の面。

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http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=150194#1





http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%B4%8E%E8%AC%99%E4%B8%89

アメリカの友人は「ボウリング・フォー・コロンバイン」、「華氏911」のマイケル・ムーア監督に心酔していて、ジャパンにはこういう骨のあるドキュメンタリー監督はいないだろうと上から目線だったのだが、先日、私が送った原一男監督の「ゆきゆきて、神軍」(英語字幕入り)を観て、度胆を抜かれていた。
実は骨のあるドキュメンタリーではなく、映画そのものが破綻し、奥崎謙三という呪詛が浮き彫りになった“貴重な映像資料”なのだから、マイケル・ムーアと比べてもしょうがないのだが、我が国でドキュメンタリーが映画として商業的にウケないのは、すべてこの作品のせいである。

幸い、奥崎謙三その人はもうこの世にいないが、存在そのものが呪詛として生きている人を撮るというのは、アフリカでライオンの生態を撮るより何百倍も危険なのだ。そういう意味で、本作品はほんとうに奇跡そのものである。
そして右翼、左翼を問わず、日本人の感情を表現した能面、小面(こおもて)、曲見(しゃくみ)、般若(はんにゃ)、大癋見(おおべしみ)といった数々の面のうちに奥崎謙三の名が加わると考えて、「ゆきゆきて、神軍」を観れば、彼が実は思想に生きたのではなく、自らの面そのものを生きたと悟るであろう。

日本の美として、奥崎謙三の存在は新しい能面として記憶されるべきだ。
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