大阪スポーツ編集局制作部・豊田泰基記者が6月22日、交通事故で亡くなった。まだ32歳。あまりに若く、あまりに突然の悲報に言葉を失った。
豊田記者は東京スポーツ運動部時代には、プロレス担当として活躍。主に新日本プロレスを取材していた。中邑真輔の結婚をスクープしている。
公私に渡って親交の厚かった永田裕志がtwitterで何度も悲しみをつぶき、それで知った関係者もいた。みな一様に「信じられない」と呆然としていた。
25日に営まれたお通夜には、新日プロの棚橋弘至、後藤洋央紀、内藤哲也、YOSHI―HASHIら選手、フロントなど多くの関係者が、26日の告別式にもフロント陣が別れに訪れた。
新日プロOBの�狷�う区議�畧沼悉い眥面襪剖遒韻弔韻討�れた。西村は本会議の最中、しかも一週間前には自身のお父さんの葬儀を執り行ったばかり。まだ落ち着かない状況の中での参列だった。
通夜には実家が道場の近所ということもあり、親交のあった大日本プロレス勢の伊東竜二、沼澤邪鬼ら選手、登坂英児社長らフロント陣が焼香の列に加わった。
普段は飄々としているのに目を真っ赤に泣きはらした人、それほど親しい間柄でもなかった筈なのに、最後のお別れだからとわざわざ会葬に来てくれた人・・・こういう有事の際に人間性が出るものだと改めて思った。
豊田記者は下半身が痛ましい状況だったと聞いた。さぞ痛かっただろう、苦しかっただろう、そして無念だっただろう。だが、お顔はとても安らかだったのが、参列者にとって唯一の救いか。
家庭では、仕事の話をしなかったという豊田記者だが、棚橋らレスラーがご両親に挨拶すると「頑張っていたでしょうか。息子のことをたまには思い出してやって下さい」と」と気丈にお答えになった時には、胸が押しつぶされそうになった。
親より先に死ぬより不孝はないという。逆縁は一番切ない。
酒が好きで東スポ勤務時代は新宿ゴールデン街の近くに、大スポ転勤後には大阪一の歓楽街ナンバのすぐそばに居を構えている。その風貌から「ガンジー」と呼ばれ、多くのレスラー、関係者にかわいがられていた。
告別式の日、棺に東スポを入れられた。嗚咽が漏れた。豊田記者、君はずっと東スポの社員だよ。「もっといろんなレスラーを取材したいです。昔活躍した人とか」。そんなことを言っていたよね。天国に行ったら、先に旅立っている往年のレスラーたちをきっと取材することだろう。安らかに。合掌。
柴田惣一(東スポWeb編集長)筆。
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まさに仕事に生き、仕事で亡くなってしまったのだが、mixiでの言動は主に仕事関係以外に向けられていたため(会社の愚痴も書いていた)、幻想文学やプログレ、ヤクザ映画その他多くの趣味の面での豊田さんはあまり知られていない。
知っているのは、mixi上で長年とよさんとしておつきあいさせて頂いた我々だけだ。
幻となってしまったとよさんの800への参戦。創作の場でのガチンコ対決は、三沢VS小橋レベルにまで高められただろうと思う。
ほんとうに残念でたまらない。
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