http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=16912
http://ja.wikipedia.org/wiki/2001%E5%B9%B4%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E6%97%85#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.A7.E3.81.AE.E5.85.AC.E9.96.8B
私は1978年の再ロードショーで観た。確か有楽町だったと記憶している。同行者は祖父だった。
当時、9歳の少年だった私は月でモノリスと対面するところまでいかずにグッスリ眠ってしまった。祖父に起こされて気づいた時には上映が終わってしまっていた。
祖父は最後までしっかり観て、あれは彼岸の映画だなとよく分からない感想を述べていた。
途中で眠りこけるのは悔しかったので、上映中に一人でもう一度観に行ったが、またも寝てしまい、今度は宇宙服姿のボウマンがいきなり変な部屋に突っ立っているところで目覚め、当時の気持ちをありのままに言ってしまうと、大いにギクッとさせられた。それから視線が食事中のボウマンに変わり、そのボウマンからベッドに横たわるボウマン、横たわるボウマンからモノリス、モノリスからスターチャイルド、スターチャイルドから地球・・・
ちゃんと全編を観たのは、実に2001年、平成13年になってからであった。
それまでは観たことにはなっていなかったので、多くのSFマニアがああだこうだと熱く語っているのを横目で聞いていたのだが、どうも誰一人ピンとくる物言いをしなかった。見当違いのことを言っているようにしか思えなかったのである。
私にハヤカワSFとブルーバックスの本を大量にくれた理科専門の家庭教師でさえ、映像は凄いがつまらない映画と一刀両断していた。
何が言いたいのか、さっぱり分からない・・・
私は映画に執拗なまでにストーリー性を求める輩、ストーリー性がなければダメだと切り捨てる輩を嫌悪する。そういう連中は小説を読めばいいのだし、何だって映画ならではの映像体験に身を委ねようとしないのか?
キューブリックは映像の人である。
それゆえに映画「シャイニング」で原作のスティーヴン・キングを怒らせもした。でも、あの映像体験は映画でしか味わえないものであった。
ちゃんと観てから、祖父が彼岸の映画だと言ったのはなぜか分かるようになったし、おヒルが昨晩初めて観るまでは部屋に到達したボウマンのシーンを反芻するだけだった。
おヒルは「インセプション」の回転するセットから「2001年宇宙の旅」のことをどこかで得たらしく、私からDVDを借りて自室で観て、大変な興奮に震える声で電話してきた。
私はおヒルの興奮を全て受け止め、「おまえ、よく寝なかったなぁ」と心底感心してみせた。実際何度か意識を失いそうになったらしい。が、シャーペンでてのひらをグリグリしながらやっとの思いで観たそうである。
おヒルは例の部屋で私のようにギクッとはしなかったが、私の祖父が彼岸と呼ぶ理由をおヒルなりに理解していた。それについて私はいちいち説明する野暮なことはしないが、想像力は光よりも速いとだけ言おう。そこに宇宙の果てに彼岸を見出すことわりと因果がある。
映像としての幻視を忠実に、細部にわたって凝りに凝り、さらに丁寧に美しく仕上げることを何よりも優先したキューブリック。私はこの映画、映像体験のおかげで死ぬことが怖くなくなった。
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