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2012年03月27日17:21

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コティングレー妖精事件から何を学ぶべきか。

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「コティングレー妖精事件」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%A6%96%E7%B2%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6

祖父は檀家たちから神怪の存在を問われた時、江戸時代からの妖怪事件をスクラップした本を見せて、人間はいかにして不思議なものを信じたがるかを熱心に説いた。

だから、夜な夜な死んだ先妻が枕元に立つと悩む檀家は、心のしこりのせいと納得させられたわけだが、頭ではそうと分かっていても、結局心は不思議な方に傾いてしまうのである。事実、その檀家は再婚がうまくゆかず、独り身のまま死んだ。

それと似たようなことを私自身も経験した。
月刊ムーで「コティングレー妖精事件」の記事を読んだ友人が、「妖精はほんとうにいたんだ!!すげえ!!」と私を含めてクラスメイト中に共感を求めてきたことがあった。
今でも覚えているが、その時の月刊ムーのコピーが、「妖精は実在した!!」。
全く罪な書き方をしたものである、もっとも私は東スポと同じくネタとして嗤うために読んでいたから正しい見方が出来たのだが、友人は心の底からすっかり信じ込んでいた。
だから、心霊写真の偽造が得意だった私は、アーサー・ラッカム描く妖精たちをスケッチブックに模写して、それを切り抜き、公園の藪にまち針で立たせた写真を撮り、オレも撮ったよと友人に見せた。
そしたら友人は激昂して泣き出し、月刊ムーを買うのをやめ、すっかりぐれてしまった。
自らの黒歴史を覆い隠すように、高校に進んで再会した友人は、これでもかというくらい気合いの入ったリーゼント、長ランでキメていたが、小声で真っ暗なところでチカチカ光るものが見えるんだと告白してきたので、私はトルエンやシンナーは控えめになとアドバイスした。
それ以来、友人とは会っていないが、噂では変な宗教に入ったという話であった。

このように、冷静にツッコミを入れても、心の底からドップリ浸かった者はもう救いようがない。
「コティングレー妖精事件」にしても、写真をよく見なくても、ただの紙切れだと分かるであろう。しかし、このファンタスティックな舞台装置でコナン・ドイルでさえもドップリ妖精実在説に傾いてしまったのは、少女たちが当時は心の底から妖精の存在を信じていたからである。
フランシスとエルシーは妖精に出会いたいがためにああいう舞台装置を作り上げたのだ。それはほんの無邪気な思いつきで、私もその場にいたらそうしていたであろう。
少女が自分の部屋を乙女チックに飾り立てることと同じことなのである。

こうした事象を大袈裟に取り上げる大人たちの頭は、余計、人間の心の弱さをひけらかしているようなもので、かえって寂しく微笑んでしまう。

「コティングレー妖精事件」は、映画「フェアリーテイル」というタイトルで映画化された。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=84835



コナン・ドイルに加えて、サイキック・ハンターとしても知られたハリー・フーディーニも登場するという派手な内容になっているが、監督のチャールズ・スターリッジは子供の無邪気さを描くのがとても上手なので、安心して観ていられた。
スターリッジの実力は、デレク・ジャーマン、ケン・ラッセル、ニコラス・ローグ、ジャン=リュック・ゴダールらと組んだ映画「アリア」で十分お分かり頂けるだろう。以下に彼が担当した一編を貼っておく。



夢見る世界がそこにないからこそ、それっぽく飾ろうという少女の想像力。それは決して心霊的なものとは関係のない、ただの思いつきなのだ。
しかし、その思いつきのなかに、哀れなほど救いを求める輩もいる。
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