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2012年02月25日20:13

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マーク・コスタビの絵で語られる身体感覚の果て。

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http://www.katch.ne.jp/~tmnet/art/kostabi.htm

マーク・コスタビを初めて知ったのは、佐野元春の「エレクトリック・ガーデン」だった。

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続いて、アメリカの音楽雑誌「スピン」でもコスタビの絵を見た。
彼の絵柄は、当時ハヤッていたテクノに非常に合ったので、視覚的なテクノとして彼の作品を蒐集したものだ。

そして、テクノが死に絶えた今。再びコスタビの絵と向き合っていると、彼の絵はキリコの絵をモチーフとした作品があるように、キリコと同じ不安感を見据えている錯覚に陥りがちである。

不安感を語るには、コスタビの絵柄はあまりにも刹那的で、無機質すぎる。

幸福も不安もない、ゆるやかな無の状態。そこに到るためのアリバイとして不安感を利用しているとしか思えない。

今の世のなかの状態を思うと、コスタビの絵は何と速かったのだろう。今更ながら感嘆せずにはいられない。


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