ランチを食べた後、死化粧師の方と世間話をした。
「最近は携帯で死に顔を撮る方が増えましたねぇ」と彼。
「昔はデスマスクを取るってえ方もいましたよね、今はもうありませんか」と私。
「たまにありますよ。それで思い出したんですが、珍しい注文を出した方がいらっしゃいまして、遺影は死んだ後撮るように、それも、生きているように見せて、というものなんです」
「その通りにしたんですか」
「いえいえ、まだお亡くなりになられてないので・・・」
私はネットで調べて、以下の写真を見つけた。
死んだ家族と一緒に家族写真を撮るというものだ。
こうすることで、死者の思い出は永遠のものとなる。
主に海外だけの風習かと思っていたが、我が国でも同じ発想をする人がいるようである。
私は個人的に忌まわしさを感じるので、ケンタが撮ってくれた祖父、祖母、父、母の死後の写真は今でもまともに見られていない。親戚からは家族愛が足りないと非難されもしたが、死に顔を晒すというのは根本的にマイナスである。だからこそ、顔の上に白い布で覆いをする。
写真などに撮って、いつまでも眺めていいものではない。
死んだ家族を写真に撮る気持ちは分からなくもない。しかし、そこにはやはり死と直接向かい合わないというエゴを感じるし、当人が死んでも生きているように撮られたいという注文は、はっきりいって我儘以外のなにものでもない。
死んだら、おとなしく土に還る。
それこそ、宗教や感情を問わず、正しく人間でいられるまっとうな選択だと思う。
従って、遺影は生前に来たるべき日に備えて用意したもの、かつ、仏壇の片隅でいつまでも目にすることが出来る、“害”のないものにするべきだろう。
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