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2011年12月29日20:47

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なぜ、「闘」 の略字が 「斗」 なのか?

   







湯のみ 「斗」 っていうのは、「一斗缶」 (いっとかん) なんていうときの容量の単位である。読みは 「ト」。

湯のみ 「斗」 っていうのは、本来、「ヒシャク」 の象形文字。ほら、「北斗七星」 と言うネ。あの “斗” こそ 「ヒシャク」 を指してる。

湯のみ いっぽうで、「荒野の決斗」 という書き方がある。ひと昔前の西部劇の日本語タイトルでは 「決斗」 と書くのが一般的だった。ポスターもこの字だし、フィルムに映る日本語タイトルでも 「決斗」 だネ。

   …………………………

湯のみ アタシは、こういう

   学校でオセーることと、世間で通用することが違う

という現象が 「異常に嫌い」 なのさ…… つまり、

   タテマエだけ教えて、現実に責任を持たない

という 「キョーイク」 が嫌いなんですね。

湯のみ 学校の国語キョーイクがこうなってしまう原因は、国語キョーイクを牛耳っている連中のアカデミズム至上主義に原因がある。つまり、

   「決斗」 という表記は俗である。
   学問は俗なものは対象としない。
   だから 「決斗」 という表記は存在しないものとして無視する。

と、こう来るわけ。

湯のみ 今どきの漢和辞典がどうなのか、わからないが、昔の漢和辞典の 「斗」 を引いても、

   「決斗」 と書く理由についてはミジンも触れていない

ということが多かった。

   …………………………

湯のみ 】 (たたかう・トウ) という字についてベンキョウしょ。

湯のみ まず、この字体は 「日本の戦後の新字体」 です。いわゆる、「旧字体」 は、

   【 鬪 】

だった。どこがちゃう? さよさよ、カマエが違う。本来は、

   鬥 (トウガマエ <鬪ガマエ>)

であった。

湯のみ 草書・行書では、「モンガマエ」 も 「トウガマエ」 も

   冖 门

となってしまい区別がなくなる。なので、これを楷書に戻すと 「」 になる。つまり、この字体は、戦後の日本でポッと生まれたのではなく、そもそも、中国を含めた漢字圏の中で、歴史的に用いられてきた字形なわけ。もちろん、字源から言うと誤りなのだが。

湯のみ そもそも、トウガマエ (鬥) を部首に持つ字じたいが珍しい、ということもある。日本で、他に見る字と言えば、

   勝鬨 (かちどき)

の 「鬨」 (コウ) くらい。「たたかう、ときの声」 の意。ゴジラが壊す

   勝鬨橋 (かちどきばし)

にも使われていた。

湯のみ 今は、この 「鬨」 という字が “表外漢字” であるために、

   勝どき橋
   勝どき駅
   勝どき1〜6丁目

と表記するのが正式らしい。「くだらん」。「だ捕・ら致・し烈・障がい者」。

湯のみ この地名は、日露戦争の旅順陥落を記念して、「勝鬨の碑」 が建てられ、「勝鬨の渡し」 が開始せられたことがキッカケである。この 「勝鬨」 をもって、周囲の埋め立て地の地名としたのだね。地名の逆成。

   …………………………

湯のみ 日本の戦前の字体が 「鬪」 だった、ということは、つまり、

   いわゆる 「康煕字典体」 (こうきじてんたい) が
           【 】 なのか?

というと、これが違うのだ。

湯のみ まったく話がヤヤコシクて申し訳なくなる。

湯のみ 日本の戦前の 「正字」 と言われるもの、つまり、戦後、「旧字体」 と呼ばれるようになったものは、

   必ずしも 「康煕字典体」 ではなかった

のである。

   おおむね 「康煕字典体」 だった

と言えばよろしい。

湯のみ なぜ、そうなってしまったか。

   …………………………

湯のみ さんざ申し上げている通り、

   漢字に唯一の正しい字形がある

というケッタクソ悪い “信仰” が生まれたのは 「明治時代」 に入ってからだった。

湯のみ そもそも、バリエーションだらけで書かれたゴジャゴジャとした象形文字から、「唯一、正しい字形」 を決めるための根拠などあるハズがなかった。漢字の字形というのは、

   だいたい、こんなふうに書けば、お互いに通じるだろう
   という範疇の字形で書かれてきて、だいたいの形に収束してきた

という、そういうシロモノなのであるネ。これは、まったく、コトバの収斂の仕方と同じだ。

湯のみ だからこそ、清朝に編まれた 『康煕字典』 (こうきじてん) は、

   厳選なる字形を求めるあまり篆書まで遡ってしまい
   同時代の実際に流通している字形と乖離 (かいり) してしまった

のであるヨ。

   …………………………

湯のみ 実は、『康煕字典』 は、同時代の字形も収録していないではなかった。ただし、さような文字には 「これは俗字である」 というような註釈がつけられていた。

湯のみ 活版印刷の活字が、上海に派遣されていた欧米の宣教師によってつくられた、ということは、さんざ申し上げているけれど、こうした活字は、

   厳密に 『康煕字典』 の “正字” を採用したわけではなかった

のだ。ときに、妙な字体が混じっていた。

湯のみ 日本における活字の歴史は、中国からの輸入に始まる。つまり、

   欧米の宣教師のチョイスが、日本の戦前の正字の根拠だった

わけなんだナ。正字なんてそんなシロモノ。

湯のみ だから、ホントウの意味の 「正字」 と、日本の 「旧字体」 が異なっていることがある。渋谷の 「渋」 という字で見てみやう。

    = 本来の正字
    = 日本の旧字

湯のみ こんなぐあい。そのため、

    = 中国の簡体字 (← 澀)
    = 日本の新字体 (← 澁)

なんてことになった。

湯のみ 実は、日本のシブヤが大好きな中国のワカモンたちは、しばしば、「シブヤ」 を、

   涉谷 Shègŭ 「シェークー」
     = 川を歩いて渡れる谷

という地名だと思っている。

湯のみ ためしに、中国最大の検索サイト 「百度」 で検索すると、

   涉谷 …… 662万件
   涩谷 …… 258万件 ※発音は Sègŭ 「スークー」

となり、間違っている 「渉谷」 のほうが圧倒的に多い。実際、中国語版 Wikipedia である “百度百科” の見出しは 「渉谷」 である。

湯のみ こうした背景には、中国では、「澁」 という旧字体が一般的ではなかった、ということがある。

   …………………………

湯のみ 実は、「」 は新字体だが、その旧字体であるハズの 「」 も 『康煕字典』 では俗字とされていた。つまり、『康煕字典』 の立場からすれば 「闘」 という字形など、俗字の中の俗字、という扱いらしい。載っていないのである。

湯のみ 実は、『康煕字典』 が正字としていたのは、

   【 鬭 】

という字形だった。中に入っている

   【 斲 】 「タク」

という字は、

   左手に楯を持ち、右手に斧を持つ、という象形字

である。下の字は 「」 の小篆 (しょうてん)。


フォト





   …………………………

湯のみ 現在の中国の簡体字では、日本の 「闘」 に相当する字を、「」 と略す。つまり、「一斗、二斗」 の “斗” と表記上は区別がつかない。日本では、「トウ←→ト」 と音が違うが、中国語ではどちらも dou 「トウ」 であり問題ないのだ。実は、このヘンに 「決斗」 という表記のヒントがあるのだが、話はあとで。

湯のみ 中国語の簡体字表では、

   簡体字 = 
   繁体字 = 

としている。ビックリするなぁ、もう。「鬭・鬪・闘」 のいずれも登場しないのである。

湯のみ まったくヤッカイなのだが、ここで、

   「初文」 (ショブン)

というコトバを覚えてもらわにゃならん。

湯のみ これは “文字が生まれた当初の字形” の意味である。

湯のみ 漢字というのは、時代を降ると、もとの字形のままではいられなくなるものがある。

湯のみ たとえば、「盾」→「楯」 のように説明を加えたくなったり、「因」 (むしろ) のように、“よる、ちなむ” の義に使われるようになったために、「茵」 のように部首を加えて原義を表す、という現象がある。

湯のみ」 は “髪をふりみだし、素手で戦う” という象形文字である。


フォト



湯のみ 甲骨文字では 「鬥」 を使うが、時代が降ると、どうも字形的に物足りないと思ったのか、はたまた、武器で戦うようすを加えたかったのか、

   「」 (1) 髪をふりみだし、(2) 素手で戦い、
       (3) 左手に楯を持ち、(4) 右手に斧を持つ。

という恐るべき字体になったわけ。

湯のみ こういう字体の歴史的変遷を 『康煕字典』 の視点からまとめると、まあ、次のようになる。

   【 鬥 】 初文  甲骨文字の時代
   【 鬭 】 正字  篆書の時代
   【 鬪 】 俗字  草書・行書・楷書の時代
   【 闘 】 下の下の俗字  同上

湯のみ ところが、こうした字体の変遷は、

   キッチリとした字画にまとまった字体の歴史

なのね。手書きの草書・行書の観点は完全に落ちている。

   …………………………

湯のみ 漢字の書体の変遷は、

   甲骨文 → 金石文 → 篆書 → 隷書 → 行書 → 草書 → 楷書

だったね。「楷書」 は 「行書・草書」 の字画を 「隷書」 などを参考に整えたものだから、いわば、

   英語の筆記体を、活字体ふうに書いたもの

みたいになる。このことは重要な知識なのね。これを知らないと、楷書の意味がわからない。

   楷書は 「活字体をエンピツでなぞれば書ける」 というもんじゃない

のであるね。

湯のみ 草書・行書では、「」 という字の字画がどんどん略された。すでに申し上げたとおり、「鬥」 は草書で 「冖」、行書で 「门」 となり、それはモンガマエと同一の字形だった。だから、それを楷書化すると 「闘」 になっちゃう。

湯のみ また、「鬥」 のなかみである 「」 (タク) もどんどん字画が省略されて、

   行書では、左側が 「豆」、右側が 「寸」 みたい

になっちゃう。だからこそ、それを楷書化すると、「闘」 になるわけ。

湯のみ 下は、11世紀の中国の書家、黄庭堅 (こうていけん) の書いた行書の 「闘」。カマエが 「門」 に変じて、なかみは 「豆寸」 から 「斗」 に変じる中間の形態を示している。


フォト




   …………………………

湯のみ 草書っていうのは、行書の字画をさらに省略する。すると、鬥のなかみが、

   「斗」 と 「寸」 を合体させたみたい

になっちゃう。つまり、「寸」 の左上に 「丶」 を2つ入れる。なぜ、そんな字形になるかというと、

   「豆」 → 「゙」

と省略されるからなの。

湯のみ こうした草書の字形から、逆成されて 「異体字」 がつくられると、

   【 鬦 】

なんて字ができるわけ。なんで、中が 「斗」 なのか、というと、先ほどの 「寸」 の左上に 「゙」 を打った草書の字形が 「斗」 に似ていると同時に、

   「鬪」 と 「斗」 は、中国語では、
   声調は違うと言えども音が同じだから

なのね。つまり、

   もともと意味をあらわしていた象形文字の部分が、
   字画が省略されるうちに、「斗」 という音符に化けちゃった

と、こういうワケ。

   …………………………

湯のみ さらに、「」 の略字で、「斗」 が生まれる、という寸法。

湯のみ そして、革命後の中国では、この裏街道のヤサグレ文字だった 「斗」 が、国家の定める正しい文字に昇格してしまった、とそういうストーリィ。チンピラが大統領に。

湯のみ しかし、日本では、チンピラはチンピラのままだった。というか、最近は、「決斗」 という表記さえあまり見なくなって、今はどこへ流れたのか、ってな状況なのね。

   …………………………

湯のみ 漢字ってのは、誰かが決めたのではなく、紀元前から、とてつもない数の人々が使いながら形を決めてきたものだから、その歴史も一筋縄ではいかないわけ。だから、現在のいろいろな局面で、なんか、奇妙な歴史の片鱗が、

   わけのわからない断片

として、フッと顔をのぞかせてる。それに気づくかどうか。それに興味を覚えるかどうか、ってこと。

湯のみ 漢字の面白さってのは、「難読語」 を覚えるとか、そういうことじゃないんだよね。
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