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2011年12月17日19:08

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ライトノベルとはなんぞや?

冬コミのコスプレで、おヒルが「僕たちは友達が少ない」の星奈のコスプレをするというので、先ほどブックオフで平坂読先生のラノベを7巻まで買い込んで読んでいるところである(それに先だってアニメも観た)。

ミスラ君いわく、私がラノベ、ライトノベルを読むなんて想像も出来ないそうであるが、ライトノベルの定義にこだわらなければ、昔の挿絵入り読み物も立派なライトノベルなのだ。

そういう意味では、ポプラ社から出た、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズもライトノベルの代表と言ってしまっていいだろう。

以下にあげるのは、比較的、現在のライトノベルの形に近いもの。

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モンキー・パンチ先生、石ノ森章太郎先生、川原由美子先生、永井豪先生ときて、

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松本零士先生。

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そして高千穂遙先生を描いた安彦良和先生。

これらを経て、いのまたむつみ先生の絵から、現在の流れになっていったのだが、ミスラ君は私のような文章にこだわる人が“軽々しい文章”によくも耐えられると疑ってかかっている(実際、ミスラ君は氷室冴子先生の本を読んで日本語文化を滅ぼそうとしていると憤慨した)。
つまり、無理して読んでいるのではないか?

確かに、高千穂遙先生の「あによォッ?」とかの言い回しに首筋が痒くなるのは認めるけれど、笑、本来、ライトノベルは文章のインスタント(ビートルズ風にいえば、ペーパーバックライター)なのだから、ハナシのスジさえワカれば善し悪しなど問題ではない。

そういうインスタント小説がライトノベルの特色のひとつだとすれば、プレイボーイに寄稿したリチャード・マシスンを始め、キングを筆頭としたすべての娯楽作家はみなライトノベルの書き手なのだ。

誤解を恐れずに言ってしまえば、生命を削るような想いをして言葉の彫塑に耽る文学以外の小説はライトノベルと言っていい。

川端康成も、三島由紀夫も、開高健も気軽にライトノベルを書いてきた・・・

そう考えれば、ミスラ君のように文学こそが日本語の砦だと血圧が上がりそうな頑張り方をしなくてもいい。心配しなくても、日本語は時代とともに移り変わるものだし、ネットスラングも加わってヒドい言い方に変わり果ててしまっても、いろはにほへとが使えれば日本語は日本語であり続けるだろう。

重要なのは、なんといっても読み手の方で、読む側が面白いと感じなければ、名文とカッコつけてみてもなんの意味もないのだ。

そういう意味では、インスタント小説で誰もが読める現場で、発想の実力を発揮出来るものこそが一番文章の重みを背負っているとも言えよう。

で、平坂読先生は、少なくとも痒くなるような文章を書かないので(むしろ痒くなるのは挿絵の方だ)、ストレートにリア充への妄想を書いてるのがイイんだろうなと好感が持てた。


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