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2011年12月04日17:10

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藤十郎百怪夜話 其の七 「死人の首」

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明治三十五年に生首売買事件として世を騒がした、大阪の人頭黒焼売りの奇怪事があったが、ここにまた憎むべき悪徳を働いてその筋の縛についた老婆があらわれて世間を驚倒せしめた。
茨城県多賀郡関南村西久松の養母お竹(五十四)は七、八年前福島県小名浜町に流れて来て、字古屋という所の獺寺に住み、そこの墓場の番人をしていたが、そのうちある人から人頭の黒焼が梅毒の妙薬になるから是非こしらえてくれと頼まれ、深夜こわごわ墓場をあばき、死人の頭をもぎ取り黒焼の製造をはじめてから、とんだ金儲けのつるにありつき、悪婆はひとりほくそ笑んでいた。
こうして、その後も墓あばきをやって、人頭黒焼の製造を続けていたが、奇怪にもその需要者は小名浜町ばかりでなく、各地から続々注文があり悪婆はますます金儲けに有頂天となり、その製造を続けていたので、いつかその噂が警官の耳に入り悪運つきて二十五日遂に捕縛されるに至った。
警官は悪婆逮捕とともに、その家宅探索を行ったが、同家の棚の上には半ば腐りかかった生首が累々として並べてあったのが発見された。
なお、同悪婆はそれを買ったものであるとか、拾いものであるなどと、強情に言い張っていたそうであるが、当時希代な怪奇事件として人々を驚かした。

(東京日日新聞)


我が国の法律において、土葬に代わって火葬が制定され出したのは、実はこういう事件が勃発したからである、と祖父は断言している。
実際に、墓場の番人もしくは墓守りという立派な職業が昔はあったのであり、記事は死体泥棒を見張る役目が泥棒になってしまっただけだ、とも。
ちなみに土葬は昭和五十年代まであちこちで執り行われ、焼き場が自治体レベルで整備されるまでは現在でも条件つきで行われていた。
記憶に新しいのはこのたびの大震災で、焼き場も被災したため、一時的な埋葬という形で土葬の形式をとったことだ。

祖父いわく。

死人の首の黒焼きは、梅毒患者の面相がそっくりそのまま「そうなる」から、気持ち的に効くと思い込めるとして売れたのだそうである。
注文が後を絶たなかったのは、女郎買いが当たり前の世の中で、梅毒も当たり前だったからとも説明していた。
祖父も結構遊んでいたようだが、梅毒持ちだけはなぜか嗅ぎ分けられたらしい。

そして。
今回の記事の後、墓場の番人を勤める条件は、生活のための本業に就いている者のみ、即ち、有志たちの副業というシステムに変わったという。
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