mixiユーザー(id:809109)

2011年11月28日14:08

4974 view

「岡田茉莉子」 ── “茉” の “末” は上が長いか、下が長いか。

   






湯のみ 昨日は、神保町シアターで開催されている

   特集 「女優 岡田茉莉子」

に行ってまいった。

   …………………………

湯のみ 1951年 (昭和26年) のデビュー作 『舞姫』 から、2003年の 『鏡の女たち』 まで、主要作 35作品が網羅されている。 (直近の出演映画は 『鏡の女たち』 の次の 2006年 『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』 青山真治監督)

湯のみ きのうは、森繁久彌と岡田茉莉子が主演のすばらしい作品

   『山鳩』 丸山誠治 (せいじ) 監督 1957年 (昭和32年)

を、まず、見た。

湯のみ 森繁久彌の実にみごとな “見飽きない演技” と、岡田茉莉子のみずみずしさの対比が心地よいが、それにも増して、

   1962年 (昭和37年) に全面的に廃線になる
   “草軽電気鉄道” (くさかる〜) がナンともフォトジェニック

なのであるよ。

湯のみ 映画の中で、森繁久彌演ずるところの “落葉松沢(からまつざわ)駅 駅長” が、「こう乗客が少なくちゃ、この鉄道も、あと、何年もつかわからん」 という意味のことを繰り返し言うのだけれど、実際、

   映画公開の5年後に “草軽電気鉄道” はなくなってしまう

のだった。

湯のみ 国鉄・信越本線の “軽井沢駅” と “草津温泉” を結ぶ 55.5キロの路線だったそうだ。

湯のみ 森繁久彌が駅長を演じた 「落葉松沢駅」 という名の駅は存在せず、ロケには “小瀬温泉駅” (こせ〜) を使ったそうだ。ただ、映画に出てくる

   “蓬莱館” は実在した旅館で、現在は、“小瀬温泉ホテル” と改名している

そうだ。

湯のみ この “草軽電気鉄道” は、木下惠介監督、高峰秀子主演のカラー映画 『カルメン故郷に帰る』 (1951) にも登場し、北軽井沢駅がロケに使われた。

湯のみ モノクロ映画 『山鳩』 と、カラー映画 『カルメン〜』 で、カン違いしやすいのだが、

   1951 『カルメン故郷に帰る』 カラー
   1957 『山鳩』 モノクロ
   1960 “軽井沢(駅名は新軽井沢)〜上州三原” 間廃線。
      上記2本の映画のロケ地が両方とも含まれる。
   1962 残りの “草津温泉 〜 上州三原” 間廃線。

という順番である。

湯のみ 客車は1両で、それを牽引する “電気機関車” が、ナンともケッタイな造形なのだ。一見にあたいする。あれを見たら、とうてい、“電気機関車” とは呼びたくなくなる。パンタグラフのオバケ、と言ったらいいか。

   …………………………

湯のみ 『山鳩』 のあとは、岡田茉莉子のデビュー作 『舞姫』 を見た。

   川端康成 原作
   新藤兼人 脚本
   成瀬巳喜男 監督

の映画で、出演者として、高峰三枝子、山村聰。とくりゃ、名作に間違いないようだが、どうもよろしくない。

湯のみ 成瀬監督ペエペエの時代の作品、というわけではない。『銀座化粧』 と 『めし』 のあいだに撮られた。でもダメなのだ。話が冗長。画が単調。照明に変わり映えがなく、場面が変わった気がしない。わかりきったような長いセリフが多くて、イライラしてくる。

湯のみ ただ、まさにデビューしたばかりの、そう、研究所に入って2週間後の岡田茉莉子さんが、ここに映っている。研究所2週間、とは思えない。

   …………………………

湯のみ 話は映画についてではなく、『舞姫』 の冒頭のクレジットである。もちろん、当時の東宝のスタッフは “オカダマリコ” なんて名前を初めて聞いたのであろうし、

   どうやら、「岡田茉莉子」 という字ヅラが難解であった

らしい。というのも、

   クレジットは、名前にルビを付けたうえで、文字を間違っている

のである。

湯のみ たぶん、ほとんどのヒトは見逃すだろうが、

   岡田莉子

と書いたうえで、「苿莉」 の右ワキにひらがなで “まり” と小さくルビを振ってある。

湯のみ このことが意味するのは、当時の普通の日本人は、

   “茉莉” を 「まり」 と読むとは知らなかった

ということと、そして、

   “茉” という字に、まるでナジミがなかった

ということである。

   …………………………

湯のみ 「岡田茉莉子」 というのは芸名である。本名は 「田中鞠子」 (たなかまりこ) だった。

湯のみ 父親はサイレント時代の映画スターで 「岡田時彦」。命名は、かの谷崎潤一郎。当時、谷崎が 「大正活映」 (たいしょうかつえい=のち松竹キネマに吸収される) の脚本を担当していたかららしい。

湯のみ 「岡田時彦」 は30歳で夭逝し、鞠子は当時1歳だったという。

湯のみ そういう縁で、田中鞠子、映画デビューに際し、谷崎潤一郎が、

   岡田茉莉子

という芸名を付けてくれたそうだ。芸名とは言い条、

   名字は、父親の芸名を受け継ぎ、
   名前は、本名の漢字を書き換えたもの

である。

湯のみ ところが、この 「茉莉子」 という漢字が、じゃっかん、問題を引き起こしたらしい。

   …………………………

湯のみ デビュー作のクレジットで文字が間違われたように、その後もたびたび、「茉」 の字の 「末」 が 「未」 にされた、という。 Wikipedia によれば、新聞・雑誌でこの誤字を見つけるたびに、

   谷崎潤一郎から、岡田茉莉子本人に、お叱りの手紙

が来たそうだ。

湯のみ 新聞・雑誌の場合は別として、映画のクレジットは、1970年ごろに産業としての日本映画が総崩れするまで、

   映画のクレジットは 「手書き」 が普通だった

のである。毛筆ふう、ペン書きふうなどが多く、明朝体に見える場合でも、活字ではなく、手書きのレタリングだったのだ。だから、余計に 「末」 と 「未」 を間違えやすかったろう。

湯のみ 新聞・雑誌で、下の棒が長い 「苿」 でわざわざ活字を組む、というのは、今ひとつ、経緯がわからない。というのも、日本語では、もともと、

   「茉」 という活字もメッタに使われないが、
   「苿」 という活字はまったく使われない

からだ。

湯のみ 想像するに、当時の印刷所には、「茉」、「苿」 どちらの活字も置いていないのが普通であり、活版を組むときに、いわゆる 〓 (ゲタ) を詰めておいて、作字をしたのかもしれない。活字であろうと、新しくつくるのであれば、文字を手書きするのと同じである。

湯のみ 現在のように、コードのない文字は存在しない、とか、文字組に必要な文字をユニコードから必死こいて探す、というような時代ではない。

   …………………………

湯のみ 「茉」 という字は、確かに昔から存在し、現代中国語では頻繁に使われるが、本来、日本語では稀用の文字であり、

   「茉」 を名前に使う、などという発想はなかった

と思う。

湯のみ だが、森鷗外が娘に 「森茉莉」 (もり・まり) という名をつけたように、漢籍に通じた人には、ちょいとしたアイデアだったのかもしれない。あるいは、谷崎潤一郎も森茉莉の名を知っていたのかもしれない。


湯のみ 「茉莉」 というのは、そもそも、イラン・インド・スリランカ・東南アジアに自生するジャスミンの一種で 「マツリカ」 という植物を指した。学名で言うと、

   Jasminum sambac 「ヤスミヌム・サンバク」 “マツリカ”

である。英語で言う Jasmine 「ジャスミン」 は Jasminum “ソケイ属” (早く言うとジャスミン属) の総称であり、“マツリカ” はその一種ということになる。つまり、

   ジャスミン (ソケイ属) > 茉莉 (マツリカ)

である。

湯のみ この植物は、漢代には中国に渡ってきており、

   末利

と言われていた。これは、サンスクリットの

   malli- <女性> 「マッり」
   mallikā- <女性> 「マッりカー」
           Jasminum sambac “マツリカ”

の転写である。外来語の音をあらわすだけだから 「末利」 でよかったわけだ。

   …………………………

湯のみ 唐代から、これにクサカンムリが付き、あるいは、「花」 が添えられる。すなわち、

   茉莉、茉莉花

である。だから、「茉」、「莉」 それぞれの漢字に意味などない。「茉莉」 以外の組合せでは使わない。

湯のみ 日本では、

   茉莉花 (マリケ) 1597〜
   茉莉花 (マツリカ) 1609〜
   茉莉 (マツリ) 1709〜

の3形がある。江戸時代に入る直前に現れており、本来は、「マリケ」 である。入声 -t がないので、これは 「唐宋音」 だろう。つまり、

   「茉莉」 は、もともと、当時の中国語音 “マリ” で入ってきた

のである。もっとも 「花」 を “ケ” と読むのは、かえってずっと古い呉音である。

湯のみ 現在、正しい読みとされる 「マツリ」、「マツリカ」 は中国語の当時の現代訛りを漢音に直した(!)ものだろう。

湯のみ 17世紀、18世紀の中国語では、とうに -t という入声 (ニッショウ) は消滅しているので、

   「マツリ」、「マツリカ」 は理論上の音であり、
   実在したのは 「マリケ」 のほうだった

と言える。

   …………………………

湯のみ 「茉莉」 という中国語彙の時代による音変化を記すと、

   末利 muat4 lĭei3 [ ムアットりエイ ] …… 上古
   茉莉 muɑt4 liei1 [ ムオットりエイ ] …… 中古 (唐代)
   茉莉 muɔ4 li4  [ ムオりー ] …… 近代
      mɑu4 li4  [ モウりー ] …… 近代 ※日本で 「マリケ」 登場
   茉莉 mò lì  [ モーりー ] …… 現代

というぐあいになる。サンスクリットの malli- 「マッリ」 の転写からの変容である。

湯のみ 日本語に初登場したときの 「マリ」 は、「ムオリー」、「モウリー」 あたりを書き写したものか。

湯のみ いっぽう、岡田茉莉子さんが、しばしば、間違って書かれた字は、

   苿 (ミ)

と言う。訓はなく、現代中国語でも使用しない。「菋」 と通じ、古語の意味は 「五味子」 (ゴミシ) である、という。五味子は、チョウセンゴミシという植物の果実を生薬 (漢方薬) に用いるもの。

湯のみ 現代中国語音は、 wèi 「ウェイ」 である。「ウェイ」 と言ってもピンと来ないかもしれないが、日本語で 「ミ」 と読む 「未」、「味」 のタグイの字は、現代中国語では 「ウェイ」 となる。

   未・味 mĭwəi3 [ ミワイ ] …… 上古
   未・味 mĭwəi3 [ ミワイ ] …… 中古
   未・味 vui4  [ ヴイ ] …… 近代
   未・味 wèi  [ ウェイ ] …… 現代

湯のみ これに対し、

   妹・昧 muəi3 [ ムアイ ] …… 上古
   妹・昧 muɒi3 [ ムオイ ] …… 中古
   妹・昧 mui4  [ ムイ ] …… 近代
   妹・昧 mèi  [ メイ ] …… 現代

である。もともとは、

   「ミワイ」 と 「ムアイ」 の違いで、
   これが日本語の 「ミ」 と 「マイ」 の違いになり、
   また、現代中国語の 「ウェイ」 と 「メイ」 の違いになった

のである。「末」 を音符とする字とは、まったく系統が違う、ということがわかるネ。

   …………………………

湯のみ 中国語では、「茉莉花」 はジャスミンティーに用いられ、むしろ、英語の jasmine に相当する 「ジャスミンの総称」 となった。ゆえに、

   茉莉花 mòlìhuā 「モーりーフワー」 “ジャスミン”

である。

湯のみ つまり、中国語では、

   茉莉花 = jasmine でもあり、
   茉莉花 = マツリカ でもある

ということになる。先にも申し上げたとおり、「マツリカ」 は jasmine の一種だ。

湯のみ 中国語の 「茉莉花」 はジャスミンの総称でもあるから、

   茉莉花革命 = ジャスミン革命
   茉莉花茶  = ジャスミンティー  ※これは、イコール 「マツリカ」

となる。

   …………………………

湯のみ 平成の女子には、「茉莉」 という字、あるいは、「茉」 のみ、「莉」 のみを使う名前の子が多いようだ。

湯のみ そのキッカケとなったのは、岡田茉莉子さんや、森茉莉さんなのかもしれない。
1 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2011年11月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930