
Туктамышева Tuktamysheva 「トゥクタムイシェヴァ」 について、さらに。
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先だって、タタール人 (ヴォルガ・タタール人) の名前には、しばしば、 Tukta- で始まるものがあり、それは、「止まれ!」 という “呪術的な意味” がある、と申し上げた。

実は、こうしたタイプの名前を持つのは、ひとり、タタール人だけではない。中央アジアのチュルク人の古いタイプの名前に、共通して見られるようだ。

たとえば、カザフ人の男子名に、次ようなものがある。
Тоқтар Toqtar [ トくˈタル ]
※たびたび子どもが亡くなった家で、新生児につける。
ロシア語転写は Тохтар Tokhtar

こうしたことから考えると、 tokta-, toqta-, tukta-, tuqta- などを語幹とする 「とまる」 という動詞があった、と想定できるのだが、現代トルコ語に、それに似た動詞は見つからない。
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ところが、トルコ語版 Wiktionary (ウィクショナリー) ── トルコ語版では VikiSözlük 「ヴィキセズリュク」 という ── に、まさにビンゴの項目があった。
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【 toktamak 】 (tokta- が語幹で、 -mak は不定形接尾辞)
チャガタイ語・動詞
隠す (saklamak)、待たせる (bekletmek)、?? (ala komak)
出典=KÚNOS, Dr IGNAZ (1902). Şeyh Süleyman Efendi, Çağatayca-Osmanlıca Sözlük
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チャガタイ語というのは、現在は死語で、かつて、中央アジアで広く通用したチュルク語であった。その直接の子孫は、ウズベク語と、現代ウイグル語である、とされる。

チムール帝国では、ペルシャ語 (印欧語) とチャガタイ語 (チュルク語) が公用語であり、インドのムガル帝国でも、初期には、ペルシャ語とならんでチャガタイ語が公用語であった。いわば、中央アジアのチュルク系民族のラテン語であった。

もちろん、チムール朝の末期に興ったカザンハン国のタタール人も、この言語を話したにちがいない。

上述のトルコ語版 Wiktionary の項目は、『チャガタイ語−オスマントルコ語辞典』 からの引用だが、これは、まさしく、
西のオスマン帝国と、東のチムール帝国・ムガル帝国のあいだの知を結ぶもの
である。いわば、イスラーム世界の 「ラテン語−ギリシャ語辞典」 のようなものだ。
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つまり、トルコ語には見えないが、中央アジアには、
tokta-mak 「隠す、待たせる」
という動詞が広く通用していたことになる。

そして、この動詞はモンゴル語からの借用という解釈がある。
*todka- <モンゴル祖語> (人を)とどめる、(物を)留める
todqa- <モンゴル文語>
totgor <ハルハモンゴル語> 障害、じゃま
todxor <ブリャート語> 同上

つまり、モンゴル語の -dk- がひっくり返って無声化すると、
tokta-
ができあがる、という寸法だ。チャガタイ語は、いわば、東チュルク語なので、西チュルク語にくらべ、つねに、モンゴル語の影響を受けやすかった、と言える。
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チュルク祖語で、これに対応するのは、
*tut- <チュルク祖語> つかむ、閉じる、とどめる
だと言う。

これだと、現代トルコ語にも見られる動詞となる。
tut-mak [ トゥトˈマク ] 「つかむ、とる、手に入れる」

これと同源の動詞がタタール語にもある。
тот-арга tot-arga 「つかむ」
※タタール語では -arga による不定形を辞書の見出し語にする。
トルコ語と同様の totmak という不定形もある。

つまり、タタール語の tukta- は、本来語の tot- に対し、チャガタイ語からの借用語、ということになりそうだ。同源の動詞を、モンゴル語経由で外来語として借りてしまったことになる。

こういう例は、ラテン語にもあり、同源の語をギリシャ語から多数借りている。実にユカイ。
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ならば、タタール語に、チャガタイ語から借用した、
туктарга tuktarga [ トゥクタルˈガ ]
という動詞があるハズである。

Google で検索して驚いた。こんなにスンナリと正解に辿り着くことは珍しい。
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ロシア語版 Wiktionary (タタール語の単語についてロシア語で記述する、という意)
【 туктарга 】
タタール語・動詞
(1) 止まる (остановиться)
(2) やむ (прекращаться)
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まさに、こんなエントリーが、 Wiktionary にあったとは “灯台もと暗し” もはなはだしい。路地にあると思って探していた店舗が、表通りにド〜ンと店をかまえていたようなものだ。
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するってえと、 Tuktamysh 「トゥクタムシュ」 という名前の構成を説明することはムズカシクない。 mysh 「ムシュ」 は独立した単語ではなく、チュルク語の動詞に付く接尾辞である。

トルコ語で説明してみやう。
-mış [ ムシュ ]
連体形(名詞を修飾)で 「〜した」。修飾される名詞が動作主。
終止形で 「〜したようだ」。話者の確信のない完了。

Tuktamysh 「トゥクタムシュ」 という名前は、
(a) 子どもが相次いで亡くなった家。
(b) 子どもが次々にできてしまう家。
において、それを 「止める」 ために使う、というのだから、「〜したようだ」 は適さない。むしろ、
「新生児」 を修飾する “動詞の連体形”
とみなすのがよいのではないか。すなわち、
「新しく生まれてきた子が、その家に好ましくない状況を “とめた”」
というふうに言い切るのだろう。
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先にあげたカザフ人の名前 Toqtar 「トクタル」 と同じ派生の名前はタタール人にもある。
Туктар Tuktar [ トゥクˈタル ]
という。こちらも動詞の活用形であり、現代トルコ語に、まったく同じ接尾辞がある。
-r 「〜する」。動詞の終止形・連体形。動作の未完了をあらわす。

つまり、 Tuktamysh 「トゥクタムシュ」 は、「(悪しき慣習を) 止めた」 という完了形の名前であり、 Tuktar 「トゥクタル」 は、「(悪しき慣習を) <これから>止める」 という未完了の名前、ということだ。
もう、この子が止めたんだ。
これから、この子が止めるんだ。

「トゥクタムシュ」 と 「トゥクタル」 とが言っているのは同じことで、ただ、「すでに完了したこととして言い切ってしまう」 のか、「これからの願いとしてコトバにした」 のか、という、願の掛け方のちがいにすぎない、と言える。
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チュルク世界では、 Tuktamysh 「トゥクタムシュ」 という名前は、
14世紀後半に、ロシア南部にハン国を興した人物
として知られる。その首都は、かつて、キプチャク・ハン国の首都であったサライであり、サライは現在のロシア連邦アストラハン州に位置した。

短命なハン国でありながら、一時はチムールの後ろ盾を得、モスクワまでも占領する破竹の勢いだったが、勢い余ってチムールの領地であるホラズムを占領したことから一挙に没落した。

ただ、 Tuktamyshev 「トゥクタムイシェフ」 という姓の人たちが、歴史上の人物 Tuktamysh 「トゥクタムシュ」 の子孫ということではないだろう、と思う。

単に、同じ名前の人物が一族の祖であった、ということだろう。なにしろ、 tuktamysh というのは、タタール語では 「とめた」 という普通のコトバなのであるからして。
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