ナビゲーションシステムの登場で、車社会は確実に変わった。どこらへんが変わったのかって?決まってるじゃねえか、ドライバーの神経世界だよ。超感覚世界と言ってもいいな。何のことだか分からない?分からなけりゃそれでもいいさ。別に、おめえに分かってもらいたいわけじゃない。あばよ。
キャシー。おめえと車のどっちかを選べだと?この俺がどんな野郎だか分かってて言ってんのか?答えは決まってるよ・・・車さ!ああ、そうさ、俺はクソッタレなオマンコよりクソッタレなV8エンジンの方が好きなんだ。何度も言わせるな。愛してるだって?一体、俺のどこがおめえのオマンコをグショ濡れにするってんだ?俺のマラはとっくの昔にポンコツになっちまった・・・事故ったのが原因でな。さ、これで分かったろう。それでも俺を愛してると言うんなら、おめえはきっと恋愛映画の見過ぎで、頭がどうかしちまったのさ。とっとと消えやがれ。
ママは俺を産んですぐ天国に召された。何で死んだかは分からない。だけど、交通事故で死んだと思うことにしてる。だって、俺の回りの人間はみんな交通事故でくたばったから。ダディは新しいママと一緒にタンクローリーに激突して金属の残骸と同化した。ああ、きれいだったよ・・・粉々になったフロントガラス、へしゃげたボンネット、ブタの鼻みたいに縮こまったボディ、ぱっくり開いたトランク、タンクローリーにねじ伏せられた格好の車の中の二人は、どうしようもない人間から見る人々を感動させる素晴らしいオブジェに変わっていた。交通遺児となった俺の回りで次々と弾けていく醜悪な人間たち・・・俺を苛めていたフランクはハーレーごとコンクリートブロックに激突し、割れた頭からスピードメーターを生やした。俺をツバメにしようとした年増のマチルダは俺の車の中で、飛ばしてきたワーゲンの中へフロントガラスをブチ破って飛び込んだ。その時、マチルダがお目当てにしていた俺のマラもイカレてしまった。俺とチキンレースをやったヘンリーは自慢のポルシェとともに、血とオイルの混合液滴る人肉入り金属ハンバーガーになった。俺に愛を告白したキャシーは歩道橋から大型トレーラーに飛び込んで、五体バラバラになった。バンパーをブチ折って、シャフトに巻き込まれて、ミキサーにかけられたようにグチャグチャになったのだ。死体収容に向かった警官は後で同僚に「人間って血の詰まった水風船そのものだってことがよく分かったよ」と語ったそうだ・・・キャシーに家族はいなかった。死体・・・というより、こまぎれになった肉片は、今でもシティモルグの冷蔵庫の中で身元不明と記されたビニール袋に包まれて眠っている。
交通事故の瞬間は、きれいで、ゾクゾクするような興奮を約束してくれるだろうが、その後で生ゴミみたいになった死体をさらけ出したくない。コンクリートの片隅で冷蔵庫の中で眠るなんてゴメンだ。キリスト教式に墓地に埋葬されたくもない。棺桶の中で蛆虫に食われていくなんてまっぴらだ。俺の死体は誰のものにもならない。全能の神のものにもならない。俺だけのものだ。そう、俺がてめえで始末するのさ。跡形もなく。それで原爆を積んでいるんだ。俺の死体は、蒸発して、原子ほども残らない。天国へも地獄へも行かない。消滅するのだ。
記憶の断片がフロントガラスの向こう側から疾走してくる。モニターの蜘蛛の巣の中で、赤い点が血管を流れるヘモグロビンのように走っていく。「何を考えてるの?」とアン。俺は沈黙する。煙草が吸いたくてたまらない。しかし、我慢する。焦っている。モニターを睨む。バックミラーを睨む。ニーナのバイク、ブラックシャドウが影も形も見えない。何故、来ない?バイクと車じゃ差があるのは分かっているが、ニーナのことを考えると追いかけてないわけがない。どんな形でも何か手を打ってるに決まっている。だから、俺はあいつを人生最後の勝負相手に選んだのだ。それにしても、何やってんだ?まあ待て。焦るな。そこを狙ってるのかもしれん。心理戦だ・・・大体、V8エンジンにバイクで挑戦してくるからして、心理戦の一つではないか?何を考えてるのか全く読めないところが不気味だ・・・俺はモニターの道路地図の範囲を広げた。追跡衛星がニーナの姿を追い求めて地表を舐め回す。どこにもいない。突然、俺の耳にアンの悲鳴が突き刺さった。フロントガラスに目を投げる。そして俺の目は、奇跡を目の当たりにしたかのように大きく見開かれた。ブラックシャドウが、フルフェイスヘルメットの奥からにやにや笑いを浮かべてくるニーナの顔が、前方から突っ込んできたのだ。俺は「ファック!」と叫び、ステアリングを固く握りながらアクセルを深く踏み込んだ。バイクに乗ったまま、ニーナの手が銃を構えている。それがおまえの手か?俺を撃つってんだな?それで止めようってんだな?その程度しか思いつかないのか?あのシボレーとムスタングの連中と変わりないじゃないか・・・原爆や人質のことも考えてない・・・単純で感情的な典型的なアメリカ人種のパターンだ。魔女よ、俺を失望させないでくれ。いきなり、視界、フロントガラスが真っ赤になった。透明感のない、べったりした赤ペンキだ・・・フロントガラスにパシッという弾ける音が続き、視界が真っ赤に染まっていく。ペイント弾だ。かなりの量を撃ち込んだらしく、両側のサイドガラスにも風圧で流れていって真っ赤に染まっていく。モニターに道路地図と追跡衛星からの天空撮影映像が半分ずつ映り、ニーナが擦れ違いざまにターンして、この車目がけて追ってくるのが目に入る。ぴったりケツに食らいついてくる。「俺を盲にするとは考えやがったな・・・モニターがあるとはいえ、フロントガラスをこんなザマにしてくれちゃあな。まるで生きた目玉をくりぬかれた気分だぜ」何だかたよりない気分だ。これでモニターがダメになったら、完全な盲になり、千里眼などの超能力でも持ち合わせていない限り、この車はコースを外れてキノコ雲と化するだろう。ムダとは知りつつ、フロントガラスを水で洗い、ワイパーを作動させてみた。しかし、思った通り、水は何の役にも立たず、ワイパーは大量のペンキで固まってしまってビクとも動かなかった。いいだろう。ふいに気分が軽くなった。俺のマシーンよ、おまえのツラの皮がどれだけブ厚いかを試す機会だ。ぶっ飛ばすぜ。モニターを睨みつつ、俺はニトロを作動するスイッチに手を伸ばした。シフトレバーの握りの部分に作った赤いボタン。「さあ、魔女とファックだ。ニーナ、おめえを遥か彼方へイカせてやるぜ。ぶっちぎりでな」気分が昂揚する。スイッチオン。ニトロが炸裂し、一気に肉体をその場に取り残したような気分になった。横でアンが奇妙な呻き声を漏らすのが聞こえる。かなりのGがかかってくる。モニター。ニーナの姿が後方へ流れ、道路地図から消えてしまった。魔女はイッてしまった。限界を超えると、ニトロが切れ、元のスピードに戻った。前は見えないが、もうすぐ山だ。険しい道が続く。
俺は後ろの座席の下に手を伸ばして、ゴーグルと革マスクを取り出すと、アンに手渡した。「そいつをつけな。フロントガラスを割るから」あたふたと装着するアンを横目で見ながら、俺は引き抜いた小型拳銃を前方に向けて二発ばかり発射した。鋭い音が響き、目の前に出現した二つの真っ白な蜘蛛の巣が、中心の小さい穴から突風を噴出し始めた。同時に、赤い霧も吹きつけてくる。俺は拳銃を股の上に乗せ、代わりに引き出したスパナを思いっきり前に叩きつけた。破片が飛び散り、ドッと重い風圧が上半身を叩きのめしてきた。それでも怯まず、何とか真っ赤なフロントガラスをほとんど打ち砕いた。重くて鋭い風が、目を直撃し、鼻孔を圧し広げ、唇や頬の肉をたるませる。畜生、俺は・・・見ろ、生きた目玉が戻ってきやがったぜ。コクピットの中が散らばった赤いガラスの破片でキラキラと輝いている。「サイドガラスも割ってしまえ。空気の流れが少し緩む」アンに拳銃を手渡す。アンはおっかなびっくりで赤く染まったサイドガラスを撃ち砕いた。それからスパナと交換し、アンが両手を使って叩き割ってる間、俺は拳銃で同じようにサイドガラスを撃ち砕き、受け取ったスパナで叩き割った。
ああ、想像するだに素晴らしい道路世界・・・フロントガラスを通してやってきたあのヒリつくような異次元世界が、肉眼に映るものとなっている。その赤裸々な映像世界には、日よけの偏光ガラスから見える色つきの世界、湾曲した世界がない。視神経をモロに直撃する。目に染みて、涙が出そうだが、眼球の全機能は前方に展開する道路世界の認識に集中している。神経が・・・車だけでなく道路世界と直結し始める・・・そいつが感じられる・・・目はたちまち風圧に慣れ、身体中のあらゆる感覚が消える。もう、何も痛くない。タイヤの焼けるような感触も、エンジンの激しい鼓動も、何もかも。血肉が風の中に溶けていき、鋼鉄が大気中に霧散していく。フルボリュームでCDを再生する。ディープパープルのハイウェイスター。錆びた鋼鉄を擦り合わせるようなリズムが響き、スピーカーが絶叫する。
誰も俺の車に追いつけやしねえ
俺は大地をブッ飛ばすだけ
誰も俺の車をブッちぎれやしねえ
マッハを破る速ささ
そう、それは殺人マシーン
何だって出来る
馬力にドデカいタイヤ
何だって装備されてんのさ
「俺の車は原爆を積んだ改造英国車アストンマーチンDBSV8。追跡衛星に直結したナビゲーションシステムにニトロを搭載。それに車人間“マーチン・トビイ”」
俺にはなくちゃならねえものさ
イエー、ブッ飛びのハリケーン
オーライ、しっかりつかまってな
俺はハイウェイスター
「もう、何も痛くない。もう、くだらねえこと、とんでもねえことにビビらされること、悩まされることはない・・・」
誰も俺のスケに手は出せねえ
死ぬまでアイツを守り抜くさ
誰も俺のスケをコマすこた出来ねえ
いつでも俺が一緒だから
そう、アイツは殺人マシーン
何だって手に入れる
「俺が選んだスケ、アン・マクドゥエル。どうしようもない女だったが、俺の存在を脳に刻みつけることで何とかなった・・・」
身も心も操り
何もかも食いつくすのさ
俺にはなくちゃならねえものさ
イエー、アイツが俺を狂わせる
オーライ、しっかりつかまってな
俺はハイウェイスター
「保守的な女と違って、一度ハマッたらくたばるまでぶっ飛ぼうとするアンは清々しく、そして、全くどうしようもない女だ・・・」
誰も俺を指図するこた出来ねえ
俺の頭ン中でスピードが決まるのさ
誰も俺のクビをパクるこた出来ねえ
再び道路に出て
そう、天国へ逆戻りさ
何だって出来る
揺れ動く大地に合わせて
全てを俺のものに
「もう、何も痛くない。全ての神経が車中に行き渡る。眼前からもう一人の俺自身がやってくる・・・」
俺にはなくちゃならねえものさ
八つのシリンダーを操作しな
オーライ、しっかりつかまってな
俺はハイウェイスター
「何もかも溶けてゆく。止まるその時まで、俺は輝くランドスケープそのものだ。神の目にさえ止まらない存在なのだ、そう、止まるその時まで・・・」
誰も俺の車に追いつけやしねえ
俺は大地をブッ飛ばすだけ
誰も俺の車をブッちぎれやしねえ
マッハを破る速ささ
そう、それは殺人マシーン
何だって出来る
馬力にドデカいタイヤ
何だって装備されてんのさ
俺にはなくちゃならねえものさ
イエー、イカレたハリケーン
オーライ、しっかりつかまってな
俺はハイウェイスター
俺はハイウェイスター
俺はハイウェイスター
そこだ、止まるその時まで、もう、何も痛くない・・・
大きなカーブを曲がっていくと、ふいに、内側の薮の中から真っ黒なものが飛び出してきた。バイクだ。ブラックシャドウ。それにニーナ。何てこった。オンロード仕様をオフロードで扱うとは。ムチャしやがる!眼前をバイクが飛び越え、ニーナの身体が迫ってきた。魔女の胴体がボンネットの上で跳びはね、ブーツの両足が助手席のアンのところへ滑り込んできた。フルフェイスヘルメットの奥からにやにや笑いがやってくる。「よお、あたしの手ってえのは、こんなもんさ。お気に召したかい?」両足でアンの上半身を挟み、片腕を割れたフロントガラスとサイドガラスの間に絡ませて、ボンネットとサイドボードに座った格好で、フルフェイスヘルメットを脱いだ頭を中に突っ込んできた魔女は、俺を見て例のにやにや笑いを満面に浮かべて、それからケラケラと甲高い声をあげて笑った。「何て顔をしてるんだい、“マーチン・トビイ”。まさか、道路以外のところを走ってくるなんて反則もいいとこだなんて、ケチなこた言わねえよね?いくら、ナビゲーションシステムの盲点をついたからって」そうだ、追跡衛星と直結しているとはいえ、ナビゲーションシステムは道路自体のランドスケープしか映し出さない。しかし、やられたのはそれだけじゃない・・・「考えたな、ニーナ。フロントガラスにペンキを叩き込んで、俺に割らせるように仕向けるとはな・・・全く、てめえで開けた正面玄関から悪魔を迎えたような気分だぜ」ニーナがフルフェイスヘルメットをアンの股の上に置きながら、悪魔のようなにやにや笑いを投げつけてくる。俺も負けずに、にやにや笑いを投げ返す。「アンを連れていくなら連れていきな。だが、もうちょいとつきあってもらうぜ この車はな、ニトロを連発して最高時速350キロをオーバーするという、ドキドキするような隠し玉を積んでいるんだ。まだ試したことはねえ・・・どこまでオーバーするか、一緒に見てみようぜ」俺はクラッチの横に据えつけたスーパーニトロのスイッチを作動させた。強ばる魔女のにやにや笑い。ガクンと魔女の身体が助手席にはまり込んでくる。アンと抱き合うようにぴったりとくっつき合う二人。アンの呻き声。喉と胃を逆流する気味の悪い音。俺の内臓は背骨をブチ折らんばかりに背中にひっついている。スピードメーターの針が350キロの表示をブッちぎって、その場でビリビリ震えている。俺の感覚の中のスピードメーターは時速400キロを超えている。顔の肉が風圧で裂けそうだ。その中で、険しい道をうまくさばかなければならない。ステアリングが今までの感触より、はるかに重く、堅い。どこからか、ゴムの焼ける臭いが漂ってくる。高速走行用に特別に造ったタイヤでも悲鳴をあげている。
止まるその時まで・・・
超高速世界の景色ってどんな感じだか、ちょっとでも想像出来るかい?時速400キロのフロントガラス無しの道路光景って、ほんの少しでも思い浮かべられるかい?そんなに速く走らなくても、視界がだんだん狭まってくるのは知ってるだろう?そう、こんな速さにまでブッ飛ぶと、何にも見えなくなってしまうのさ。真っ白けな光だけしか見えないんだ。それで、どうやって運転出来るのかって?ナビゲーションシステムなしで?俺には長年の経験からのカンてもんがあるのさ。それにしてもだ・・・道路が白い光となって目の中を疾っていく、この光景の何と素晴らしいことか!そうだ・・・
もう、何も痛くない・・・
何が見える何も見えないただ真っ白な世界しか見えないそう俺の車は限界をブッちぎって走ってるニーナとアンは身動きが取れないそうまるでジェットコースターに乗ってるギャルみたいにビビリまくってるそう俺自身もビビリまくっている一体どこまでブッ飛ぶのか連発また連発スーパーニトロが吠えるステアリングがうまく握れないそうタイヤがスピードについてけないしかしバーストしない大したもんだそう俺の車は特別製地球上で最も速い車そして俺という人間も特別製地球上で最も車に近い車人間風が耳を千切ってしまいそうエンジンがブンブン唸ってる呼吸がままならないこのままホワイトハウスまでブッ飛ぶのかいやそうじゃない初めから行けないことは分かっていたアメリカはホワイトハウスを護るためならそう田舎土地を放射能まみれにすることくらい屁とも思わないだろうそう俺はどこかでそうホワイトハウスまでの途中のどこかで爆発させられるだろうそうニーナが出てこなくても何らかのクソッタレな手段で俺はやっつけられてたはずそう人質が例えキリストであってもだそうやっぱりどこかで止まるしかし俺は走り続けているこの幸せニーナが出てくれたおかげだどこかで止まるにしても魔女と勝負出来たことは人生最高の瞬間だそう俺は俺の望んだ人生を完成することが出来る最高さあニーナおまえの番だこれからどう出る?
ニーナは驚いたことに、アンにべったりくっついたままで、いつの間にか握った小型ナイフでシートベルトを切り外していた。それからニーナが愛銃とトレードマークのひとつにしている、ブローニングハイパワーマーク�脅�動拳銃を取り出して、ドアの蝶番の部分に向かって九ミリ弾を続けてブチ込んだ。ロックや取っ手の部分にもブチ込む。勢いをつけて、ドアにケリを入れると、ボロリと剥がれ、風圧で千切れ飛び、あっという間に見えなくなってしまった。ニーナとアンの向こう側に広がる荒野のランドスケープ。遠ければ遠いほど静かに横たわっている。白い光と化している前方と違って、そこは永遠の平安を保っている。俺は一瞬その光景に見とれたが、すぐに前方に目をやった。「行くのか?どうだい?このゲームは・・・楽しかったかい?俺はもう勝ち負けなんかどうでもよくなったよ」ぐったりしているアンの顔からゴーグルと革マスクを剥ぎ取りながら、ニーナの声が飛んでくる。「楽しかったよ!久しぶりにクソッタレなスリルが味わえた・・・そうだね、勝敗はあたしの方が試合には勝ったけど勝負には負けたということにしておこう」俺は風圧に苦労しつつ、声をあげて笑った。「アンに伝えてくれ。人生に“最高”もしくは“ブッ飛び”を求めるんなら、それは自分で見つけなってな・・・」アンの頭にフルフェイスヘルメットを被らせ、ゴーグルと革マスクを装着したニーナは「まだガキってことさね。でも、こういうことは大人になれば分かるってもんじゃない。分かるヤツが分かるのさ」と言い、「この先は長いトンネルだ・・・入る前にサヨナラするよ。オウ、イエー、ロング・ロング・グッバイ、“マーチン・トビイ”」と続けた。それから、手を振ってみせ、アンの身体を抱えて飛び出した。この時速400キロ以上の中を、二人の身体はまるでつぶてのように飛んでいった。その先にはゆったりした池が広がっている。魔女のことだから、アンとともに無事にアスファルトの上に立てるだろう。グッドラック、ニーナ&アン。俺の目の前にはトンネルが迫っていた。オレンジ色に輝くコンクリートの空間。ドデカい山をくりぬいた長いトンネル。先のぼやけた闇の中は何か障害物で固められている。
止まるその時まで。
俺はもうすぐ止まるだろう、そして爆発するだろう、瞬間的にかどうかは分からない。しばらくたってからかもしれない。結局のところ、俺は走り抜いたことになるのか、それとも途中で止まったことになるのか、どちらになるだろうか?それは誰にも分からない、俺自身にも分からない。神のみぞ知ることだ。何てことだ、俺の口から神の名が出るとは。車のみを信じ、俺自身のみを信じ、神なんざクソクラエと思っていた俺がどうしたことだ。神はいるのかいないのか。この期におよんで神のことが頭に浮かぶとはどういうわけだ。信じられない。ああ・・・これは一体どういうことだ。でも悪あがきはやめよう。最後の瞬間にまで驚きを、狼狽を味わえるなんて贅沢この上ないというものじゃないか。そうだろう、常にピリッとした人生を望み実践してきたおまえにふさわしいったらないよ・・・最後の瞬間にあのクソッタレなキリストの顔を思い浮かべるなんて。ガキの頃教会で見た磔死体の顔をいつまでも覚えているなんて奇妙だ。なあ、神さま、あんたのところまでぶっ飛ばすぜ。このイカした車でな。
もう、何も痛くない。
俺は救われる。障害物、何やら空間いっぱいに積み上げたガラクタの山が目の前に迫ってくる。ボンネットがひしゃげ、砕けたステアリングが俺の胸に突き刺さる。身体が金属の中にめり込み、何もかもがグチャグチャになっていく。ふいに、その瞬間、後ろから強烈な閃光が迸った。太陽が出現したのだ・・・俺の車、俺の身体はその眩い光に乗って、障害物をブチ破って天空までブッ飛んでいった。全く
最高・・・
追跡衛星の拾う映像と音声。びしょ濡れになりつつ、全身打撲を負ったニーナとアンは、ふらふらとした動作で池から這い上がって岩陰に身を隠したところで、大地が轟音で震動するのを感じた。同時に、土煙と土砂の雨が辺りを覆い、全身が土まみれになるのを感じた。それから、岩陰からトンネルの入口の方向を見ると、そこに聳えていた山がきれいさっぱりなくなっていた。火山の噴火口みたいにぱっくりと大きく裂けている。その驚き呆れるような、一種の痙攣的な美しさを感じさせるような、凄まじい光景にしばらく見とれていると、ふいにアンがフルフェイスヘルメットの中から甲高い笑い声を発した。おかしくてたまらないような高笑いが、長い尾を引いて静まり返った辺りに響き渡っていく。そこへ、放射能処理班の車と人間たちが到着した。銀色に輝く放射能防護服を着た数人の人間たちが、何かを喚きながら二人に向かって駆け寄っていく。一人がニーナを抱える。もう一人は、笑い続けるアンをどうしたものかと眺めている。「狂ったのか?」と一人が言うと、ニーナが「いいや。こいつにゃ今まで思いっきり感動したことなんてなかったからね・・・生まれて初めて大いに感動してるとこさ。気にしないで、さっさと運んでいきなよ、あたしもね」と苦しそうな声で言った。
それからというものの、ニーナはどこかに消え、アンは“マーチン・トビイ”が吹っ飛んだ三日後に盗んだ車で警察と派手なカーチェイスをやった揚げ句、ホワイトハウスに突っ込んで激突死を遂げた。
そしていたる道路には、ハイウェイスターを聴きながら流してると、近くに英国車の姿を見かけるという噂が流れるようになった。
ログインしてコメントを確認・投稿する