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2011年08月10日09:24

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西伊予路紀行13 佐田岬

 7月31日日曜日は鹿野川荘を0840時頃に出て、国道197号線を進み、大洲・八幡浜の市街を抜けて、一路、佐田岬を目指しました。

 三崎半島とも呼ばれる佐田岬半島は八幡浜港付近から西南西へ中央構造線の南縁沿いに長さ約40kmに亙って直線的に突き出しており、北の瀬戸内海(伊予灘)と南の宇和海を隔てています。
 沿岸はリアス式海岸を成し、良港に恵まれて古来漁業が盛んでしたが、背後に急峻な山地が迫って平地は殆ど無いため、道路の整備は遅れ、交通は港伝いに結ぶ船舶に頼らざるを得ない陸の孤島でした。特に半島の北側は季節風の影響を受けがちで航路も発達せず、集落は半島の南側に集中しています。
 半島を縦断する国道197号は昭和38(1963)年に全通し、半島の先端近い三崎港までバスが走るようになりましたが、山腹に沿って眼下に宇和海を臨む形で走っていたため、曲がりくねり、普通乗用車同士のすれ違いさえ困難な悪路が続いたため、イクナ酷道と揶揄されていました。しかし、平成10(1998)年に半島の尾根を縦走する頂上線(佐田岬メロディーライン)が完成し、今日では八幡浜市から三崎港まで1時間もかからなくなりました。メロディーライン沿線は山桜の名所でもあります。
 昭和52(1977)年、半島付け根付近の北側斜面に、瀬戸内海に面した唯一の原発である四国電力伊方発電所が建設されましたが、佐田岬半島は北西に遮る陸地が無いため、風力発電にも適しており、多数の風車が稜線上に林立する独特の景観が現出されています。
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 町村合併で、現在は半島全体が伊方町となっており、岬鯵・岬鯖・伊勢海老・サザエ・テングサ・チリメン加工等で知られる水産業や、斜面を段々畑にしたナツミカン栽培が盛んな地域です。
 
 寄り道をせずにメロディーラインを走りぬけ、大分県佐賀関へのフェリーが出ている三崎港に到着しました。国道197号線は海の向こう側の大分県へと続く形になっています。
 三崎港近くには、国の天然記念物に指定されている赤榕(アコウ)樹があります。
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 アコウ〔Ficus superba (Miq.) Miq. var. japonica Miq.〕はイラクサ目クワ科の半常緑高木で、樹高は約10〜20m。きめ細かい樹皮が特徴です。幹は分岐が多く、枝や幹から多数の気根を垂らし、岩や露頭などに張り付きます。新芽は成長につれ色が赤などに変化するのが名前の由来です。
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 東南アジアの熱帯雨林原産の熱帯性植物で、中国南部・台湾から、南西諸島・九州・四国南部・紀伊半島・山口県等の温暖な地方に自生します。
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 四国における分布北限である三崎のアコウは元々7本ありましたが4本が現存し、最大のものは樹齢600年、幹周7.5m、樹高14mに達します。
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 三崎港から半島最西端の佐田岬に向かう道は県道256号線で、メロディーラインに比べて路幅が狭く曲がりくねっているため、ここからはかなり時間がかかります。

 やがて、半島先端で、豊予海峡(速吸瀬戸)を隔てて大分県の佐賀関と向かい合っている佐田岬駐車場に到着しました。この一帯は瀬戸内海国立公園のエリア内です。
 眼前に絶景が広がります。
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 佐田岬灯台は三角錐状の陸繋島の向こう側にあります。
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 灯台へは1km程度の道を歩くしかありません。当初は深閑とした遊歩道を進みます。
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 その後、急坂を降り、また登らねばなりません。
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 一帯では美しい花々が咲き乱れていました。
 ハマユウです。
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 クズです。
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 ハマナデシコです。
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 ハマカンゾウです。
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 陸繋島の頂上にある椿山展望台からの眺望は最高でした。
 駐車場方面です。
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 佐田岬灯台です。
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 佐田岬は敵国軍艦の瀬戸内海侵入を防ぐ要衝だったため、明治時代から大東亜戦争期にかけては、多数の砲台が備え付けられた要塞地帯となり、民間人の立ち入りが規制されていました。
 砲台跡です。
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 砲台の探照灯格納庫です、
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 いよいよ佐田岬灯台に到着しました。
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 佐賀関は霞んでいておぼろげにしか見えませんでした。
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 四国最西端の碑です。
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 この後、駐車場へ戻り、松山に向かいました。
 途中、道の駅瀬戸農業公園で遅めのランチを食べました。
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 刺身定食1380円也です。
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 オマケで付いていたじゃこ天が凄く美味しかったです。地元でハランボと呼ばれるホタルジャコ等の頭と内臓を取り除いて骨や皮ごと擂り潰し、扁平に整形して油で揚げた魚肉練り製品です。伊達政宗の長男で宇和島藩主となった伊達秀宗が故郷仙台を偲んで職人を呼び寄せ、生産させたのが始まりだとされています。
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 道の駅瀬戸農業公園は塩成(シオナシ)堀切に架かる堀切大橋の東詰めにあります。
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 塩成堀切は佐田岬半島が一番狭くなっている場所で、慶長15(1610)年に板島(宇和島)藩主富田信高が運河開削工事を始めましたが、慶長18(1613)年、信高が不祥事で改易されたため、工事は中止されました。
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 堀切大橋は防風壁?で囲われているため橋上からの写真撮影は困難ですが、何とか撮ってみました。
 宇和海側です。
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 伊予灘側の三机湾です。ここは、砂嘴(サシ)によって季節風を防ぐ事が出来る伊予灘有数の良港だったため、西国大名の参勤交代船の寄港地として良く利用されました。
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 道の駅を出発してすぐに不気味な重低音が鳴り響き始めました。近くに街宣車でもいるのかと思いましたが、それらしい車は見当たりません。良く聴いてみると、海沼実の『みかんの花咲く丘』【http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/mikanno_hana_saku_oka.htm】のようです。どうも、車が走るとメロディーが流れるシステムになっているようでした。この仕掛けこそが「佐田岬メロディーライン」の名前の由来だったようです。wwww
 往路では鳴らなかったのになあ…。
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