
SFというのは日本人に絶対向かないと思ってた。TVもないし、科学的な感覚を修得する可能性がそもそもなかった。もちろんSF漫画描いてる奴なんて皆無だった。それが、現在突然のブームといわれるくらいになっちゃって不思議なもんだ。
「秘密のアッコちゃん」はね、あの頃、魔法をテーマにするなんて馬鹿馬鹿しいものとされて誰も描かなかった。出版社に持ってったら「こんなのダメ」・・・そこを押しまくって載せてもらった。そしたらすごい反響。TVで「奥様は魔女」が大当たりした頃だった。
映画?話題作はいちおうみたよ。「スター・ウォーズ」4回。楽しいね。大人が本気になって。子供の喜びそうなのをつくるという感覚がいいのね。大人になっても子供の精神を忘れないのがアメリカ人のいいところ。
もし日本だったら「こんなガキ向けに大金出せるか」ってことになる。
子供向けと最初から決めてかかって、時間と金をかけずに、器用につくってしまうのね。大作のふりして手を抜くのがうまいんだな。
最近やたらアニメが出てきてるけど、あれはファッション。話題に遅れまいとみんなで押しかける。
とにかく日本人の価値観というのが、いいものはとっておこう、じゃなく、新しいものばかり追う。何から何まで流用品。本物は育たない。
だから優れた人材は皆外国へ流れるでしょう。アメリカでは一発ヒットすれば、それで食っていける。原稿料は日本の十倍だし月二十ページでプール邸宅が建つという。それが日本じゃ、ね・・・。
手塚治虫を世界最高と言えるわけだ。
ギャグマンガにしたって、非常に多くなったけどパロディにすぎないんだな。“感じ”で描いて、テーマが欠けてる。僕らはテーマ性を重んじた。
昔は真面目な読者が多かったんだ。今、誰も必死になってマンガ読むことなんてしない。そういう時代は終わった。ただ在るから読む。ラーメン屋でラーメン待つ間にね。
そりゃどういう読み方されようと構わないけど・・・。氾濫しすぎちゃって、いちいち丁寧に読んじゃいられないんだな。熱心に読むほどマンガに飢えちゃいないもの。描く側にしても、ひとつ面白いものが出るとみんな後追っかけたりするし。
まあ、マンガってのは、うける、うけないより自分が満足できればいいんだろうな。
僕にしても、すごくわかってくれる人がひとりいれば、百人わかんない奴が読んでくれるよりずっと嬉しいもんだから・・・。
(昭和53年11月25日発行「少女SFマンガ競作大全集」より)
三十年以上も前に赤塚先生が語った状況から、現状を見渡してみると、びっくりするくらい変わっていないばかりか、ますますジャンク扱いされているマンガ業界。
海外においてはマンガはアートである(HENTAIマンガであっても!!)。
ジャンクはゴシップ記事がメイン。
この差はいったいどういうわけなのだろうか。
かつて三島由紀夫は若者がコーラやハンバーガーを飲み食いしても、日本語を喋る限りは、日本文化は生き続けるという意味のことを言った。
確かにそうかもしれないが、日本語そのものを真面目に喋るのと、不真面目に喋るのとでは、その人個人にとっての生きる意味が大きく違ってくる。
つまりは何のテーマがあって生きているか、なのだ。
周囲に流されるより、自分がほんとうに満足出来るものに従って生きる。
そういうことを赤塚先生は言っているのであり、事実、先生はやりたい放題の一生を過ごされた。
今、コンビニや書店で回転が速い雑誌を眺めてみると、嫁姑がどうしただの、不倫がどうしただの、少女マンガでさえ生臭いテーマが氾濫して、それを買っていく手合いは、やっぱりラーメン屋でラーメンを待つように、生きているうちに死ぬのを待ちながらマンガを流し読みする、つまらない人生を送っているように思えた。
私はそんなものを読むほどヒマじゃない。もっともっとやりたいこと、知りたいこと、見聞きしたいことがたくさんある。そのためには、満足するマンガだけを選んで読んで、時間をムダにしないことだ。
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