mixiユーザー(id:1506494)

2011年03月01日21:11

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ダ・ポンテの生涯

通勤電車で本日読み終わりました
平凡社新書「ロレンツォ・ダ・ポンテの生涯」

きっかけは先日の観劇「コラボレーション」
台本作者がユダヤ人だったことで、書き上げたオペラが
上演禁止の憂き目に会ったシュトラウスは怒り狂います

「だったらダ・ポンテはどうなんだ
ユダヤ人じゃないか
フィガロの結婚やドン・ジョヴァンニも上演禁止なのか」

この台詞で僕はダ・ポンテがユダヤ人であったことを知り
その後、書店でこの新書を見つけ、即買ってしまいました
いやぁ面白かった
他人の人生を面白いなんて思っちゃ申し訳ないのですが
講談本を読むような感じです

モーツァルトのオペラの台本作家であったダ・ポンテは
ニューヨーカーだった

へぇぇ

モーツァルトの生きた時代にアメリカは独立してますから
不思議ではないのですが、でも意外
アメリカって現代の象徴みたいで、モーツァルトと同時代
というイメージがありません

アメリカには古典派・ロマン派の作曲家がいませんからね

その答えがこの本の中に書かれていました
独立した頃のアメリカは政治と経済の体制を確立することが最優先で
芸術や文化なんかに労力を注ぐことは無かった
そもそもピューリタニズムの権化というお国柄ですから
歌舞音曲のたぐいに冷ややかだった

なるほどね
だからアメリカの文化って底が浅い感じがするんだ
世界三大オペラのメットがありながら
世界三大とは言えないまでも、五大オーケストラだったら
入るかもしれないシカゴ交響楽団がありながら
いずれも「本格的」という評価には耐えない気がする

ダ・ポンテが人生の最後(30年以上も滞在したんです)を
過ごすことになったアメリカには、当時オペラハウスはおろか
オーケストラもありませんでした
そんな国にイタリア古典文化を根付かせようとして孤軍奮闘した
ダ・ポンテの晩年の苦労や思うべし

北イタリアの寒村に生まれ
ヴェネツィア、ドレスデン、ウィーン、ロンドン、そしてニューヨーク
放浪の、まさしく波乱万丈の人生を歩んだダ・ポンテは
故郷から逃れ、そしてユダヤ人であることから逃れようと
したのかもしれません
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