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2011年02月10日23:18

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八百長問題について。

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私は八百長問題については、相手を生かしておく必要がある以上、ある程度の加減は必要だと思っている。
私自身、小学校高学年時代、子供たちの相撲クラブに入っていた。
私の世代は、各小学校、ほとんどが校庭に土俵を持っていて、市単位で相撲大会を催していたものだ。
五歳年下の子に、闘牙がいたりと、当時はホントに小学生かと思うような体格に恵まれた子がたくさんいて、タッパと腕力だけの私は体重差をカバーするために気合いを人一倍入れた。

即ち、相手をブチ殺す。

相手にとっては実に迷惑な話だが、親の仇とか、クラスメイトをいじめた仇討ちとか勝手に思い込んで、殺気を高めたのである。
得意としたのが立ち合いの瞬間の頭突き。
コツは頭蓋骨のイチバン硬いヒタイの部分で、相手の鼻っ柱、眼窩、顎を狙って猛スピードで一撃。それで準決勝まで進んだ(引き落としで敗れた)。
ところが。
私よりでっかい野郎が鼻骨骨折だけでなく、眼窩底骨折を負い、かなりの重傷だったため、次回からは私だけが頭突き禁止になった。
その時の大会委員の言葉は忘れない。

「もうちょっと子供らしい相撲をとりなさい」

それで私は相撲をとることに興味をなくし、もっぱら観戦にまわった。
八百長もこういうところから来ているのだと思う。
そうでなければ、怪我人どころか、死人、よくてカタワが出て当たり前の世界なのである。
それでは力士が減って興行どころではなくなるだろう。

でも、そういう真剣勝負を我々だけではなく、八百万の神々は好む。
私は親方にこういう質問をしたことがある。
「天覧相撲だからと加減をしようということはありえますか」と。
そしたら一発即答。
「天皇陛下の前では、思いっきり死ねと言ってあります」
そういうことなのである。
日々、善き死に場所のために力士たちは精進する。
それが八百長であっても、すべては善き死に方のためだ。

許されないのは、カネで星を売り買いするというカネがらみだろう。
そこには死生観とは全く関係のない、損得だけの卑しさが漂っている。

そういうわけで、私のイチバン好きな力士は旭道山であった。次点が双羽黒。フィクションの世界では当然、播磨灘。

大相撲復活には、いつでも死ねる気迫が絶対必要と信じて疑わない。
美しい女と通帳の残高に未練が全くない、明日のない力士たちだけが・・・
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