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2010年08月15日22:10

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映画「肉弾」を観る。

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http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=142595#1



我が家の戦争映画の好みは多種多様だった。
祖父は市川崑監督の「野火」(大岡昇平の小説が原作)、オヤジはサム・ペキンパー監督の「戦争のはらわた」。
ちなみに父方の祖母はフランキー堺主演の「私は貝になりたい」、母はリリアーナ・カヴァーニ監督の「愛の嵐」。
両親が外国映画を好んだというのが時代らしさを感じるのだが、これは戦後に青春を過ごした二人の現実逃避も入っていたのだろう。我が国の悲惨で泥臭い戦記ものより、スカッとする戦争映画を選んだのだ。

実際。

オヤジはサム・ペキンパー監督の血なまぐさい殺戮表現に歓声をあげていたし、母は妖しく歌い踊るシャーロット・ランプリングにウットリとしていた。

さかのぼって、祖父と祖母が人間臭い映画を好んだのも、ある意味で現実逃避である。祖父と祖母は軍人でもない家族を兵隊にとられたと、戦時中から大日本帝国と天皇陛下を恨んでいた。でも、お寺として非国民と指弾されるわけにはいかなかったので、かなりジレンマに苦しんだらしい。だから、戦後であっても、戦争は悲惨でしたという傾向に飛びついたのはリアルな現実逃避なのである。

映画は闇のなかのファンタジーと信じて疑わない私が好む戦争映画は、岡本喜八監督の「肉弾」だ。

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私は1969年生まれなので、もちろん戦争を知らない。
家族も含めた周囲から戦争の悲惨さを塗り込められるように聞かされたけれども、それでも戦争をリアルなものとして受け止められなかった。
しかし、「肉弾」で初めて、戦争がどういうものかを受け止められるようになったのだ。
けっして、ドキュメンタリーや靖国神社では得られない、リアルな人間臭さ。
寺田農の怪演と本作品がデビュー作となる大谷直子の初々しい演技を観よ。
あまりにもファンタスティックなものは、もはや現実でしかない、という有名な定義を具現化した、奇跡のような戦争映画の傑作である。

ここに至って。

我が国の戦争映画は「ローレライ」とか観てても、まだまだウェット重視であることを思い知らされる。「真夏のオリオン」もそう。
ウェット重視も過ぎると、戦時中の戦争美化となんら変わらない、固まったものになり果ててしまうのだ。一ミリたりとファンタジーにはならない。

しかし、岡本喜八監督は笑い飛ばすことで、ウェットなもの一切をファンタジーに昇華してしまった。
こういう精神こそ、真に人間にとって大切なものを回復する心構えだと思う。

ちなみに。
私の知人はマンガでかわぐちかいじの「ジパング」に傾倒しているのだが、自衛隊が戦時中にタイムスリップするという、戦国自衛隊の第二次世界大戦版の内容に燃えている彼に、犬神図書館からジェラルド・カーシュの短編「ブライトンの怪物」を読ませたら、思いっきり拒否反応を示していた。
ヒロシマの原爆で17世紀のイギリスへとタイムスリップした日本人を描いた話なのだが、別にヒロシマをどうこう言ってるわけではないし、ヒロシマの単語に過剰反応するのは、カート・ヴォネガットの「スローターハウス5」に対して、ドレスデン爆撃を軽視していると騒ぐ輩と同じである。

ウェットにウェットさを重ねるやり方は語り部としてひとつのやり方ではあるが、作品には向いていない。社会見学の一環で強制的に聞かされるわけではないからだ。自分の判断でチョイスする以上、作品は様々な“かたち”で迎えてくれるのがいちばんいいのだ。

従って、映画「肉弾」は喜劇にカテゴライズされることで、まじめな戦争映画からは仲間はずれにされているが、私にとってはこれ以上はないくらい、まじめで切ない戦争映画であった。
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