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2010年02月07日21:44

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鏡を通しておまえに逢いにゆく。

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今日は、懇意にしている古道具屋の檀家と世間話をしていて、骨董品のなかで鏡台、三面鏡がいちばん売れない理由で盛り上がっていた。

理由はズバリ、持ち主の念がこもりやすいモノだからである。

実際、幽霊騒ぎを起こした檀家から、亡くなったおばあさんが出てくるという三面鏡を預かってお祓いをしたことがある。

「前にね、観光客の外人さんが明治時代の半三面鏡を買っていったんだよ。荷造りしてさ、海外向け仕様でスウェーデンに送ったのね。そしたら、半年くらいして送り返されたんだよ、手紙が添えてあってね、あちらの言葉で書いてあるもんだから、こちらのスウェーデン大使館(六本木)まで行って読んでもらったらさ、前の持ち主さんが夜な夜な真ん前に座って化粧してるからだってよ」と檀家。
「へえー、はるばる異国まで行っても出るもんなんですかねぇ」と私。
「どうだろうね、とにかく奥さんもお嬢さんも怖がってしょうがないから、今度は旦那さん一人で見張ることにしたんだって。まあ、高く売りつけたからねぇ(聞くと百五十万円だったそうである。鎌倉彫りだからそんなところであろう)。そしたらね、あやしいものは現れなかったけれども、鏡の覆いをとってなかを覗き込んだら、なにかものすごいショックを受けてそのまま気絶したんだってさ。気付いたら病院に運び込まれてて、そばには家族がついている。激しいショックだったもんで、一体何を見たのかきれいさっぱり忘れてしまっているそうだけど、とにかくこれ以上置いてはおけないので、お返しします。返金は結構です・・・と」

スウェーデンのアンティークマニアのご主人が何を見たのかは分かりすぎるくらい分かってしまうのだが、鏡はただでさえ存在そのものが神秘的であやしいものである。
いわくを全く知らぬ者でも、あれやこれやと由来を想像して、人間というものは過去の遺物に関しては後ろ向きに考えてしまう傾向があるから、よくないことを想像しつくして、その念を鏡が増幅したのであろうと考えている。

それは例え、サドカイ教徒(キリスト教の一派。霊魂の不滅を信じなかったことで知られる)であっても、想像がたくましい人間である限りは逃れられないさだめなのだ。

私とおなじく妖怪、幽霊の存在を信じなかった祖父でさえも、亡妻(一番目の妻で、三番目の妻を祖母とする私とは関係が薄い)の幽霊を鏡のなかに見ている。
鏡台の前が亡妻の白粉の匂いで濃くなる瞬間があって、そういう時に恐る恐る鏡の覆いをめくると、きまって、なかに亡妻が座っていてじっとこちらを見つめてくると日記に書き残している。
亡くなる前、妻はこう言い残したそうだ。

「妾(わたし)が死んでも、鏡台さえ残してくれればいつでもおまえさまに逢いにゆきますよ・・・」

祖父は最初のうちはちゃんと残したのだが、二番目の奥さんをもらう段階になって、亡妻と目を合わせることが出来ずに、とうとうお祓いつきで燃やしてしまった。

私自身の体験は、過去日記でも述べている通り、祖母の三面鏡のなかを覗き込んで、横いっぱいに広がる無限のパラレルワールドを楽しむというものだったが、こちらを覗き込む無数の自分自身の視線が恐ろしくなり、祖母が亡くなった際は、早々に三面鏡を別の古道具屋に売り払った。

巡り巡って。

どこかでアンティークマニアの人が祖母の三面鏡を手に入れたとしたら。
やはり何かを見てしまうのだろうか。
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