1997年10月1日、長野新幹線が開通した日だ。
この日はすなわち、信越本線横川-軽井沢間が廃止になり、しなの鉄道がスタートした日でもある。
12年がたった今、往時の面影を探しに軽井沢駅に行った。
現在の駅舎は都会の駅のような近代的な橋上駅である。
旧駅舎は、一度は取り壊されたが、西側に移築されて軽井沢駅舎記念館となっている。
内部にはアプト時代からEF63までの碓氷峠の資料、草軽電鉄の資料なども展示されていて興味深い。
また駅舎に続く旧1番線の一部を利用して、EF63が静態保存されている。
ホームには当時の駅名板が残り、往時を偲ばせる。
金網を隔てた旧2,3番線島式ホームが、現在のしな鉄の1,2番線ホームになっている。
さっそく現駅舎に戻り、改札に向かう。
肩身が狭そうな、実にこぢんまりした改札口だ。
島式1面2線のホームに降りると、丁度169系快速列車が発車するところだった。横では今見てきたEF63が見送る。
EF63と連結するためにこの世に生を受けた169系であるが、もう2度とあの光景を見ることは無いのだろう。
しな鉄開業にあたり、跨線橋や屋根は一新された。
新幹線側に留置線が1本残っている。
かつては何本も留置線があり、機廻し線をEF63が忙しく動き回っていた。EF62の姿もあった。
振り返ると階段の裏側、横川方向には今使っているホームの倍くらいの長さのホームが続いている。そう、昔は10何両の長大編成を収めていたのだ。
早速小走りにそちらに向かう。
果たして、そこには「信越本線 軽井沢駅」が置き去りにされていた。
旧1番線も、新駅舎に飲み込まれなかった部分が残る。
この屋根の形、懐かしい。
駅舎記念館はキレイすぎて何も思い出せなかったが、ココに立つとあの頃の情景が思い起こされる。
ふと我に返り横川の方を見ると、
漆黒のカニ型ロボットのような車止めが、明確な意思を持って行く手を阻んでいる。その先は線路が撤去されているがどうなっているのだろう?
駅を出て高架橋から先を望む。
ここである思いが頭をよぎって、矢ヶ崎に車を向けた。
レールはあった。あのときのままだ。
ココで上り線で3重連を撮り、下り線でプッシュする63を撮った。
線路は錆びていたが、列車の接近するレールの振動が今にも聞こえそうに感じた。
軽井沢がリゾートとして特別な地位を持つに至ったのには、ここに至るのが困難な時代があったことと無縁ではないと思っている。
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