http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E5%B7%A8%E7%A5%9E%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%AA%E3%83%B3
私の祖父は明治生まれらしく頑固者ではあったが、晩年、テレビまんがと称してアニメもよく観ていた。
私と一緒に観る機会が多かったためだろう、「ゲゲゲの鬼太郎」や「妖怪伝猫目小僧」は妖怪好きの祖父にとってはたまらない番組であったが、私が「勇者ライディーン」などの巨大ロボットものに歓声をあげると、子供心にもはっきり分かりすぎるくらい冷淡な態度をとったものだ。
巨大ロボットなど非現実のカタマリにうつつをぬかすより、「ドロロンえん魔くん」の方が勉強になる(註:祖父いわく、永井豪の作風はギャグであっても、人間の本質が鋭く表現されているとのことだった)と日記にもはっきり書き残している。
しかし。
「伝説巨神イデオン」の放送が始まると。
画面に食らいつくようにして観ている祖父の姿があった。
その頃には私はもう巨大ロボットに興味をなくして、新宿でやっていたダリ展に行ったのがきっかけで、シュールレアリスムに興味を持つようになっていた。
祖父はいつも、イデオンを一緒に観よう、いや、これは観るべきだと誘ったのだが(1982年の私の誕生日には、わざわざ映画館で買ったチケットを二枚用意して誘っていた)、いやいや観る私は逆に祖父に対して冷淡な態度をとった。
祖父いわく。
「わしらは焼け野原で数多くの無惨な死体を見てきたおかげで、強い心が持てるようになった。悲惨な目にあえばあうほど人は強くなれるのだ。そういう意味で、戦争を経験してきてよかったとわしは心の底から思う。しかし、その反動で、平和な今、子供たちが悲惨さを体験する機会がないゆえに、どれだけ弱い心のまま大人になってしまうことか・・・それが心配だったのだが、イデオンのようなテレビまんがで子供たちが悲惨な目にあうことを頭のなかで体験すれば、少しはよくなるんじゃないか・・・」
日記に書いたようなことを諄々と言って聞かせたのだが、私はついにイデオンを観ないまま、そしてテレビまんがの可能性について祖父と意気投合しないまま、祖父を亡くした。
私がイデオンを最初から最後まで(劇場版にいたるまで)ちゃんと観たのは、高校に入ってからだった。幼なじみの万太郎が初めて檀家たちを前に説法をぶった際、イデオンの“因果地平”を引用したので興味を持ったのだった。
正直・・・
祖父と一緒に余韻を分かち合えなかったことを後悔している。
これはまさにバーチャルでありながら、リアルに心に深く突き刺さる衝撃だ。
戦争を経験していない分、しっかりと経験しておかねばならない作品だと心から思う。
そして。
総監督を務めた富野由悠季氏が最近発したあの言葉の真意も、祖父の言葉とオーバーラップして、余計に私の心に染み入るのだ。
アートやヒットするものは民主主義からは決して生まれてこないと思います。
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