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2009年06月20日23:20

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広いところより狭いところ。

お寺にある土蔵。
お寺における、私のテリトリーである。
かなり古い建物で、大正末期の生まれだ。裏窓には昔ながらの頑丈な鉄格子がはまっており、この中二階の部屋で幼少時の私はよく“脱獄ごっこ”をしていた。
ゴルゴみたく、鉄格子に毎日塩だけのスープを指で塗って、錆びてもろくなるかどうかを実験してみたのだが、我が国は厳しい気候ではないため、現在でも脱獄不可能である。

さて。

私は実を言うと、だだっ広い家屋敷に住むよりも、狭っ苦しい三間長屋のような部屋に住む方を好んでいる。
以前、飛び込むようにして部屋を頼んだ旅館で、部屋がないからと、大宴会場に無理矢理泊まったことがあるが、わざわざ舞台の袖に隠れるようにして布団を敷いて寝た。
それを聞いた万太郎は、「バッカだなぁ、せっかくだからど真ん中に大の字になって寝りゃ気持ちよかったのによ」と感想を述べたが、私はそういうことが出来る人間は、走光性(フォトタキシス)の性質をもって生まれたものだと思っている。
私は生まれつき、走暗性(スコトタキシス)の性質ゆえに、ダンゴムシ、ムカデ、カタツムリと同じように、常に暗く、狭いところに移動するのだ。

例によって、前置きが長くなってしまったが。

ただでさえ薄暗い土蔵の中二階の部屋に、最近こういう家具を入れた。

フォト


https://www.gakubun.co.jp/hanbai/shouhin/510407.html

今まではちゃぶ台とコタツを使っていたのだが、もっと隅っこ、それも壁側を向いていないと文章のきらめきが出てこないと分かって、コレを購入したわけである。

コレがなかなか集中出来てイイ。

壁側を向いていると、見えない背中側に“目”が出来たような感じがして、ありもしない“気配”を創り出して、見えない存在を敏感に感じとる・・・

書いている時はここまで神経が高ぶっていないと、ほんとうにいいものが書けない。

ここまでしても書けない場合はどうするのか?

その場合は、防空壕として使われていた地下室に入ることにしている。
ここは、東京大空襲の後、リヤカーで運ばれてきた身元不明の遺体を保管していたところでもあって、それだけに尋常ではない雰囲気で満たされている。
私は子供の頃、精神修養と称して、ここに閉じ込められて死ぬほど怖い思いをしたのだが、今では自ら進んで入って昼寝をするくらい平気になった。
かび臭い、冷え冷えとしたコンクリの部屋のなかで、隅っこ、壁に向かってじーっと座っていると、自らの心のうちから這い出てきた悪魔があの手この手で誘惑、脅しにかかってくる・・・

このへんの感覚は、眩しいほど明るい部屋、それも広くて風通しのいい快適な部屋では絶対に味わえない、一種の快感なのだ。

そして、そんな快感など心から望まない人は、心の何たるかを半分も理解出来ぬまま一生を終えるだろう。
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