2004年11月09日(火)
解けない催眠術のこと。
会社で催眠術がなぜか流行っている。
本気なのかおふざけなのかは分からないが、ひとつの刺激としてはいい材料ではある。
「眠くなる、眠くな〜る〜」
「アナタはセロリが食べられるようにな〜る〜」
「肩こりが楽にな〜る〜」
みんな、一通り、素人催眠術を試し合った後、明らかにそれと分かる期待感を持って、私に催眠術の掛け合いへの参加を持ちかけてきた。
「犬神は絶対、催眠術が得意だろ?」と同僚。
「正確には、人心を惑わすことが得意なんだよ、君ィ」と私。
「まま、何でもいいから、何かやってみせてよ」
「おまえなぁ、俺のは軽くないんだぞ。こちらがかけるんじゃなくて、その人本人にそうと思い込ませるのを手助けするだけなんだ。つまり、かかったら最後、解けないんだぜ」
そこで、同僚の動きが固まってしまった。
「解けないって?」
「元に戻らないんだよ」
事の重大さを分からせるために、私はわざとオーバーに海外の怪奇小説の、催眠術を扱った恐怖を二つばかり話した。
一つは有名なので、きっと読者諸兄はタイトルと著者を直ちに思い浮かべるだろう・・・死んでまでも催眠術にかかったままの男を描いた物語である。術が解けたら、死体がドロドロに溶けたというあれだ。
もう一つは、あまり知られていないショートショートだが、子供向けの怪談アンソロジーに収録されていたので、私と同年代の方々の中には、ああ、あれかと思い当たる方がいるかもしれない・・・ショウの邪魔をした無礼な客を宙に浮かべたまま、術者が心臓発作を起こして死んでしまい、客は夜空の月に向かってそのまま浮かんでいってしまうという話だ。
これだけ話しても、同僚たちはニヤリと笑うだけだった。
「またまた!うまいんだから。いっつもそうやって、ビビらせて後で笑おうって魂胆なんだぜ。いいさ、俺は妻も子供も、親もいない独身だ、心配するこたあねえ、何かかけてみなよ」
「そうだな。おまえがどうなろうと、また新人をひとり入れりゃいいだけの話だもんな・・・よし、そこに座れよ」
周囲に言って、部屋のカーテンを閉めさせ、蛍光灯を全部消させ、夕闇の薄暗い部屋の真ん中に、同僚を椅子に座らせる。
「目を閉じな、目・を・閉・じ・な・・・」
同僚はニヤニヤ笑いながら、ウインクしてみせてから、目を閉じる。
私はそっと同僚の顔に、自分の顔を寄せて、ぼそぼそと囁いた。
同僚の両手をしっかりと両手で握りしめて、たっぷり十分間は囁き続けた。
その間、同僚は目を閉じたまま、ニヤニヤと笑っている。
誰かが「ちょっと」と声をかけてきた。「もうやめようよ、ねえ」
そこで、私は手を上げて、「終わった。いいよ、明かりを」と言って、みんなが部屋を元通りにしている間、さっさと帰り支度をした。
その中で、みんなは心配そうに同僚を眺めていたが、同僚は目をぱっと見開いてみせると、舌を出して笑ってみせた。
「何か、ちょっと奇妙な気分になったけど、どうってことねえな。犬神よ、ちゃんとかけたのかい?」
「ああ、かけたよ」
「どんなやつ?」
その問いに、私は答えず、ただ二ヤリと笑ってみせた。
会社を出ようとするところで、階段をものすごい勢いで同僚が下りてきて追いかけてきた。
「頼む!どんなのをかけたんだ?バカにしたのは悪かったよ、頼むから教えてくれ!」
私は今度は愛嬌たっぷりにニヤリと笑った。
「ちゃんとかかってるじゃないか、今、まさに。そうやってビビるようにかけたんだよ」
でも。
同僚は多分、今夜、私が囁いた暗示を体験するだろう。
私はたっぷり十分間、こう囁いたのだ。
「寝る前に、誰かが手を握ってくる」と。
実際、この手で、五人のうち三人が、自らの生み出したお化けに手足を握られて金縛りにあった。
催眠術の極意とは。
見かけよりも、どれだけ内側に迫れるか、である。
それは、言い換えれば、本人がどれだけその気になってしまうかなのだ。
その人が自分の心を制御しきれていないくらい、心に隙があるのなら、それゆえに催眠術は催眠術として、明日を生き続けるだろう。
ちゃんと強い信念を持って、しっかり生きていれば、このようなまやかしには引っかからないはずだ。
人間は心に隙が出来るくらい、弱いものだということを頭に入れた上で、強い心であるように!
今日はここまで。
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2004年11月10日(水)
あまめはぎのこと。
今日、催眠術をかけた同僚が無断欠勤した。
携帯にも出ないので、部下の女性社員を二人、同僚のアパートへ行かせた。
その結果。
救急車を呼んで病院に運んだという騒ぎになったので、仕事を切り上げてから、私は病院へ向かった。
病室へ入ると、同僚はバツの悪そうな笑顔で迎えてくれた。
ベッドの上に起き上がって、左腕に点滴を打ちながら、女性社員二人を横に、むいた林檎をしゃくしゃく食べている。
「極度の筋肉痛で気絶してたんだって」と女性社員。
「最初、ほんとに死んだのかと。映画の『リング』みたいな格好で倒れてるんだもん」ともう一人。
そこで、私は「金縛りだろ」と言ってやった。
同僚はこっくりと頷いた。
「マジ怖かったぜえ、ほんとに手足を握ってきやがった・・・」
話を聞いてみると、プレステでホラーアドベンチャーゲームをプレイしながら、うとうとして、いつものように睡眠に入るところで、何かが部屋にいる気配にうとうとしながらギョッとしたそうだ。
それが、目玉の裏で、いやにはっきり見えてきて、みのをつけた、天井まで頭がつく大男だった。
顔は電灯の傘が邪魔していて、よく見えなかったが、見てはいけない、見たくない衝動に襲われて、心の中でもぎゅっと目をつぶった。
大男の妖怪は、そのまま同僚の布団の上にのしかかり、頭からつま先まで鼻を押し付けて、くんくん、ふんふんさせて、両足の足首を両手でがっしりと掴むと、そのまま、身体から魂の部分を抜いた。
身体の感覚は、布団にしっかりへばりついているのに、気持ちの上での感覚はずるずると大男に引っ張られていた。
その時の気持ちは、もう、喉が張り裂けるくらい「助けて!」を連発するだけだったそうだ。
そうして、足のかかとをぺろぺろなめてきて、ひび割れから爪で皮を剥いできたところで、恐怖感が最高潮に達し、身体全体が吊ったかと思うと、そのまま、救急車に乗せられるまで気絶していたという。
病院からの帰り道にて・・・
「こわーい。大男が現れるように催眠術をかけたの?」と女性社員。
「うんにゃ。ただ、何かが手足を握ってくるって囁いただけだよ。大男はあいつの心の奥から現れたものだろうな」と私。
「それにしても、みのをつけた大男って」
「かかとの皮を剥ぐっていえば、あまめはぎだなぁ」
「あまめはぎ?」
「昔は、囲炉裏で足の裏を炙る怠け者を戒めるために、炙られたかかとの皮、それをあまめっていうんだけどね、そいつを食べにやってくる妖怪を生み出したんだ。それがあまめはぎ・・・」
そこで私はハッとした。
「そういや、あいつは秋田の出身だったな。あまめはぎの本拠地じゃねぇか。あいつ自身は囲炉裏に当たってはいないだろうが、あいつの血の中にそういう記憶が流れていたのかもしれねぇな」
「何だ、じゃ、やっぱりお化けとかそういうのは、ほんとにいないのね?ただの思い込みなんだね?」ともう一人。
「妖怪とか諸々の恐怖は、人間の心が生み出したものだからね。従って・・・」
私は真剣な顔で言った。
「恐怖を克服するためには、人間の心というものをよく知る必要があるんだ」
それにしても。
金縛りからの筋肉痛で動けなくなって、病院に運ばれるとは。
もう二度と、つまらない挑発に乗って、他人に催眠術をかけるのはやめよう。
一日とはいえ、入院費を払うはめになったし・・・。
反省。
今日はここまで。
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