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2006年03月17日05:55

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「耽奇館主人の日記」自選其の六十八

2004年09月11日(土)
首吊り幽霊のこと。

二年前のことだが、市川市に引っ越してきたばかりの、関西出身のナエと知り合って、真夜中に焼肉を食べて、腹こなしにと夜の国府台へ散歩しに出かけた。
JR市川駅の北口からタクシーで将軍坂の下まで行くと、真っ黒な林のシルエットが紺色の夜空に映えていた。
ナエは豹柄スタイルで、怖いもの知らずの、イケイケギャルといった感じだったが、暗闇を前にすると、それまで浮かべていた笑みが引きつり始めてきた。
「雰囲気たっぷりだろ」と私。
「・・・怖いなあ」とナエ。
将軍坂を登って、灯かりの消えた真っ暗な聾学校を横切りながら、私はナエに、ここが俺が会話訓練をしていた聾学校だよと説明していた。
その時。
聾学校から江戸川を見下ろす途中にある、細長い公園の方面で、人の気配がした。
目を凝らすと、何だか、サラリーマン風のスーツ姿の男がふらふらしているのが見えた。
酔っ払いだろうか?
そこで、私はナエに聞いてみた。
「何か感じるかい?」
「何も感じない!いないよ!なんにもいない!」
そのまま、私を急かすように、一生懸命明るいところへ押しやっていた。
それで、里見公園の入り口からタクシーをつかまえて、二人して我が家へ帰ったのだが、翌日、せむしの社長から興奮した口調で、公園で首吊りがあったと知らされた。
何でも、私たちが散歩した日の朝に、出勤した聾学校の教諭が、公園のケヤキの枝から首を吊って死んでいるサラリーマンを発見したのだそうだ。
リストラされたことを苦にしての自殺だったという。
それを聞いて、私はさすがに、久しぶりに、ゾクリとした。
ゾクリとした理由は、もうひとつある。
父方の血筋で、代々の者が、首吊り幽霊を必ず一度は見ているのだ。
父は、上野公園で、首吊り幽霊を目撃したばかりでなく、公園中を追い回されたという。
それが、首に縄を首輪みたいにつけて、ニコニコしながら、テクテクと後をついてきたというのだ。
祖父は、もっとすごい。
子供の頃、遊び仲間と木登りしていると、枝や葉に隠れていた首吊り死体をまともに見てしまって、木から落ちたというのだ。
それで泣きながら、大人たちに知らせると、大人たちは、またかという顔をして、とっくに死体は下ろしたのに、あれはまだあそこからぶら下がってるなと言ったのだそうである。
祖父の話だと、曽祖父も見たらしい。
不思議な縁だが、うちはそういうものだと思うよりしょうがない。
で。
何故、二年前の話を今になって蒸し返すのかと言うと、最近、近所の子供たちが首吊りを見たとか騒いでるからである。
一人をつかまえて、どこで見たんだと問いただすと、宮久保だよと言う。
場所を詳しく聞いてみると、古跡の「袖掛けの松」がある辺りである。
確か、松の枝に袖を引っ掛けて、死んだとかいう女性の伝説があるところだ。
あの辺りは、昼間でも鬱蒼とした森林で、今年のような猛暑でもひんやりと涼しい、薄暗いところだ。
実を言うと、陰で「首吊り坂」と呼ばれるほど、何年かおきに首を吊る者が後を絶たない、「忌み場」なのだ。
実際、高校時代の友人も、部活の練習の帰りに、首吊りを発見して、その場で死体を下ろして警察を呼ぶという騒ぎを起こした。
私は思う。
昔の妖怪に、「くびれ鬼」というのがいたが、これは人をして、首を吊りたくなる気持ちにさせるというものだ。
まあ、妖怪そのものを真面目に信じる必要はないが、薄暗い場所を歩いていると、いい枝っぷりを見ていると、ふいに首を吊りたくなる気持ちになることがあるのは、ほんとうにある。
それも気のせいではなく、何かに強烈に誘われる、抗いがたい誘惑なのだ。
私も何度か経験している。
実際に死者が招いているのか、自分自身の心の歪みなのかは分からないが、とにかく恐るべきことである。
そういうものは、一切、恐れなければならない。
死に対する感覚を強めることで、生に対する感覚をも強める・・・
私の血が首吊り幽霊を見るのは、そのための訓戒なのだろうか。
最近の自殺人口増加を食い止めるためにも、みんなが私と同じように首吊り幽霊を見ることが出来たら、どんなにいいだろう。
今日はここまで。
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