昨日の日記「マンジュシュリから電話が!!」に太陽茶屋さんのコメントがあり、それに対するレスを書いていたら、自分でも思いがけない言葉が出てきました……以下コピーしてみます。
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太陽茶屋さん、ホオポノポノって環太平洋的な古代霊性(そう呼びたければムーと呼んでもよいかもしれませんが)のルーツに関わるようなコスモロジーをもっていると思います……だから響いてくるのかも。
ブルーウォーターの使い方とか、オーラソーマとつながるような側面もたくさんありますし……。
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ムー的霊性の叡智……確かに、ホオポノポノの霊的コスモロジー、人間意識のマップからは、科学技術的文明へとシフトしていった西洋的な(アトランティス的と言ってもいいかもしれません)神秘主義とは少しニュアンスの違うなにかが伝わってくる感じがしています……
有機的で暖かい生命の肌触りとでも言ったらよいのかな?
この感触は、例えば、第五身体(第五チャクラ)領域における、深い思い込みや信念に働きかけて、そのブロックを溶かしてゆくもうひとつの優れた方法……バイロン・ケーティの四つの言葉を使ったワークと比べてみても感じられます……。
ところで、こうした環太平洋的、ムー的なヒーリングの技法にもう一人の「マンジュシュリ」でもあるヴィターリ氏が引き寄せられたりすることや、同類の名前をもつ僕自身が一気に引き寄せられてゆくこの……マンジュシュリ・シンクロニシティとでも呼べるような流れにチューニングしてみると、仏典のなかに描かれている「竜宮」という存在が意識に浮かび上がってきました。
マンジュシュリ(文珠菩薩)は南インドのバラモン階級出身の実在の人だったとも言われていますが、多くは大乗仏教の教典群のなかでいろいろ神話的表現を散りばめられながら表現されていることが多い人物です……
『華厳経入法界品』の主人公である善財童子を53人の善知識に導く口火を開いたという話や、『法華経 提婆達多品(だいばだったほん)第十二』に、文珠菩薩が竜宮におもむいて、八歳の竜女(りゅうにょ)に『法華経』を説いて、即身成仏させたという話がよく知られています……
竜宮という表現は、もちろん深い深い海の底といったイメージを喚起するものなので、まずは潜在意識や無意識の奥深いところへのアクセスといった意味があると思われますが、もうひとつは遠い昔、南方にあったとされる失われた古代文明の香りもそこはかとなく漂っています……。
マンジュシュリが『法華経』の中で竜宮を訪ねるといったかたちで表現されているところは、そうした古層の記憶へのアクセスによってもたらされた何かのメタファーだと捉えてもいいのではないかと思います。
ちなみに、マンジュシュリは獅子の上に坐している姿で描かれることはよく知られているのですが、その手にはかならずブルーロータスが握られていることはあまり知られていないようです……。
一説による、ブルーロータスは、はるかなるムー文明(古代の環太平洋霊的文明圏)のシンボルであったともされますので、マンジュシュリ伝承には、そうした古代文明につらなる物語が編み込まれているのかもしれません。
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