「カタログの歌(*Madamina, il catalogo è questo*/《ドン・ジョヴァンニ》)」を春の試演会で歌い、11月の第10回門下生コンサートでも歌う。毎日、「黴(かび)」と合わせて2時間ほど歌っている。コンクールに出ていた頃と同じように、ひたすら聴いては歌い、また聴いては歌う。その繰り返しだ。
さすがに楽譜はすべて頭に入った。イタリア語の歌詞も意味も頭に入っている。車の中でも流しているので、毎日50回以上は同じ曲を聴いている計算になる。それでも飽きない。我ながら感心する。
「カタログの歌」はYouTubeに数え切れないほどアップされている。イタリア語のタイトルで検索すると、次から次へと出てくる。オペラの舞台映像もあれば、リサイタルの演奏もある。最初の数フレーズを聴けば、そのまま最後まで聴くかどうかはだいたい決まる。
ほとんどはプロの歌手だが、ときどきアマチュアの演奏も見つかる。コンクールの映像かと思ったら、どうやら発表会らしい。
だが、「なぜこれを公開しようと思ったのだろう」と感じるほど完成度の低い演奏もある。ドイツ・リートやイタリア歌曲なら、アマチュアでも十分に聴かせる演奏はある。しかし、このアリアは難しい。声だけでなく、言葉の処理や表現力、役柄を演じる力まで求められる。途中の盛り上がりで挽回するかと思っても、そのまま尻すぼみに終わるものがほとんどだ。
そんな演奏を聴いたあとにプロの歌を聴くと、やはり違いは歴然としている。声の質も表現も、作品を支配する力もまったく違う。
そこで、ふと思った。自分もYouTubeに演奏をアップしている。もしかすると、誰かが同じように最初の数フレーズだけ聴いて、「これは最後まで聴かなくてもいい」と判断しているかもしれない。いや、その可能性は十分にある。
人の演奏を評価するのは簡単だ。しかし、その評価の目は、そのまま自分にも向けられている。そう考えると、演奏を公開するということの怖さと、プロの凄さを改めて感じるのである。
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