モノが崩れるような爆音で目が覚めました。
ベランダに出てみると、風はそんなではありません。しかし、爆音は相変わらず続きます。
ここが標高が高い土地のメリットでしょう。
うちは、標高10mかと思ってましたが、地下鉄の入口にあった表示から考えると、30mくらいでした。
昨日は、嵐が来る前に、
家内と寿司屋に行きました。出たばかりの牡蠣が目当てです。きわどいところで二個残っていて、堪能しましたが、常連の人と話が弾みました。
うちがある場所を下りていく窪地に店はあります。
窪地は別の町会になっていますが、関係が密ですね。小学校時代の同級生が六十を過ぎても寿司屋の常連です。
職業はもちろん、バラバラです。
水害などのときに助け合わなければいけないから、強く団結しているのでしょう。
私はよそ者ですが、
東京のいい下町は、標高が低い窪地やかつてそうだった地域にあります。
お茶の水〜神保町 などは、かつて武家屋敷だった地域と、町人が住んでいた地域が入りぐんでいますが、土着の人のメンタリティは相当違うように思われます。
嵐の前に窪地に買い出しに行きました。
買い出しに難渋した老夫婦が荷物を持ったまま、動けずに立ち往生しています。おじいさんが歩けなくなっていて、おばあちゃん一人ではどうにもならない状況です。「手伝って。すぐ近くだから」とおばあさんに言われ、手伝いました。「私の腕に遠慮なくつかまってください」などといって。
ビックリしたのは、そのやり取りがとても自然だったことです。
「ありがとう」とは言われましたが、お互い、別に特別なことではない…という感じです。その通り。困ったお年寄りを支えて五十メートルほど歩かせるなどは、特別ではありません。
この自然さは、暮らしてきた住民の営みの重さを感じます。
かえってから、写真の昼飯を家内に作ってもらいました。
うまかったので、調子に乗って、夜は牡蠣をということになりました。
どうも、人は自分に合った土地に住むようです。
私は付き合いが密な下町には住めませんし、さりとて山手にも住みたくありません。
丘の上の疑似山手と、下町が混在していて、
台風のときに、こんな風にあれこれ考える程度のところが、ちょうど合っているようです。
ログインしてコメントを確認・投稿する