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2008年05月09日01:10

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全ての少女たちのための処方箋、「血みどろ臓物ハイスクール」。+追加画像、追記。

近所の女子高生たちの間で、「面白かったティーンズノベル」という話題があって、ああでもない、こうでもないと色々な作品をあげているそうだが、犬神図書館に通い詰めている子によると、キャシー・アッカーの「血みどろ臓物ハイスクール」(白水社)は、まさしく「究極のティーンズノベル」なのだそうである。

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彼女は熱心に語る・・・

KERAとか読んでるバヤイじゃないぜ、なんなの、この本は。
サイコーにウケる、んでもって、サイコーに泣ける。
一体なんなの、このジェニーって子は。
こんなにドロドロ、グチョグチョ、メチャクチャなのに、なんでこーも感動しちゃうんだろう。

ちなみに私にとってティーンズノベルとは、実に不幸なことに、ポプラ社、フォア文庫、コバルト文庫だった。

吉田としの「異性」、「赤い月」に胸をときめかせていた少年時代・・・
でも、同時に、バタイユの「眼球譚」を読んでいたのだから、ほんとうに幸いなことに、私の少年時代はバランスがよかった。

そうでなければ、私は絶対「爆発」していただろう。

ティーンエイジャーとは、まさしく、いつ爆発するか分からない自分自身とぴったり、真っ正面から向き合う年齢だ。
男の子はまだいい、女の子より精神的にも肉体的にも「突起部分」がある分、それなりに発散出来る・・・
しかし、女の子にはそれがない。それをブチ込まれる側である以上、色々な面で不利だ。発散出来る余裕なんてないし、メッチャ限られている。

だからこそ、女の子の悲鳴、絶叫は、地球上の生物の中で一番甲高いのだ。
しかも、キロ単位で遠方に届くという凄まじさ。

嘘だと思うなら、いっぺん、ディアマンダ・ギャラスの歌を聴いてみるがいい。
ほら、これだ。

http://www.amazon.co.jp/Plague-Mass-1984-End-Epidemic/dp/B000003Z4Z/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=music&qid=1210256802&sr=1-1

絶叫。

キャシー・アッカーは、文章での「絶叫」において、アメリカの現代文学の最も重要な作家になった一人である。
私が彼女の「原文」と初めて出会ったのは、高校時代で、「ハードデイズ」なんとかいうよく分からない海外文化のシーンの紹介雑誌にて、「BLOOD AND GUTS IN HIGHSCHOOL」の「断片」を読んだのだった。

それだけでも、メチャクチャで、ガツンとくる衝撃があった。

当時、翻訳業に就こうと、一生懸命語学を勉強していたのだが、キャシー・アッカーの生々しい、ムキ出し、体液まみれの英語は、日本語だとどう置き換えていいのか全く分からず、ただ途方にくれるまま、原文で読むばかりだった。
それを果敢にも全訳してしまったのが、渡辺佐智江さん。
読んでみて、実に「完璧」な翻訳だった。しかも、本作品で翻訳家デビューを果たしたというのだから、当時の私はすっかり度肝を抜かれてしまった。
私には逆立ちしても無理なのは分かっていた・・・ティーンの女言葉を自由自在に操ることが出来なかったからだ。
こんにち、渡辺さんのティーン言葉も古くなってしまっているが、激しさは常にビンビンくる。

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この気合いの入ったツラがまえが、著者のキャシー・アッカー。

http://www.ackerfilm.com/

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「血みどろ臓物ハイスクール」はLaura Parnesという映像作家によって映像化されているようだが、残念なことに私は未見である。早く手に入れねば!!

今あたしを取り巻いている絶望感は、認識されていないために歪んでしまっている欲望から派生している。あたしにはわかる。あたしには、世界が醜いものではないというフリはできない。圧倒的な恐怖が、あたしを取り囲んでいた欲望からこの身を隔てる。今や圧倒的な恐怖は、あたしを死の世界の一部に変える。

(註:中太字は以下、すべて、渡辺佐智江訳による「血みどろ臓物ハイスクール」からの引用)

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男ってイイわよネー、ただ、ザーメン、ドピュドピュすればクールに一日クリアできンだから。
女はソンよー、そんな単純にできてないンだしー。
アアアー、どこかで生体移植してくンないかしら、このマンコにカチッとチンポをさ。

そうしたら・・・

そうしたら、なんもかんもテッテーテキに犯しまくっちゃうぜ。

老若男女、人種の差別なく、ワンちゃん、ニャンちゃん、

みんなまとめてヤッてやんよ。

犬神図書館にて、女子高生の一人がペニス願望について語った生々しい愚痴のひとつだが、びっくりするくらい、「血みどろ臓物ハイスクール」のジェニーの言動とよく似ている。

あまりにもアレなので、私は苦笑いしながら、ヘンリー・ミラーの小説を読むことを勧めたが(読書は心を落ち着けるとか何とかとってつけたようなことを言って)、その通り、かえって荒々しい欲望を抱えたまま、名作を読むのも精神的にキクのだ。
ジェニーは、ナサニエル・ホーソーンの「緋文字」を読んでいる。

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キャシー・アッカーは、「緋文字」を書いたホーソーンについて、ジェニーの口を通して、絶賛し、作家の本質について鋭く語った。

作家は、自分自身の恐ろしい苦悶や血、メチャクチャにされた腸(はらわた)、おぞましい、混乱した内面ゆえに繰り広げられる行為の数々を創り出す。自分の内面と関われば関わるほど、一層充実した作品を創造できる。ある作家の本が好きなら、そいつの本を読めばいい。本は純粋な苦悩じゃない。もし作家を世に出したい、助けたいというのなら、事務的にすることだ。だが、その著作が気に入ったからその作者も好きになれるものと考えて、作家の個人生活に踏み入ってはいけない。作家の個人生活なんて、不快で孤独なものだ。作家は皆おかまだ。遠ざかっていた方が無難だ。ホーソーンは言った、私の生は苦悩に満ちている、しかし、いつの日か、私は幸福になるのだ、すごく幸福になるのだ、たとえ私が死んでしまっていても。イマジネーションが、苦悩からではなく歓喜から創造される世界、男と女が再び愛し合い、再びキスを交わし、ハメ合うことができる世界が訪れるのだ(一人の女性が現れて、私のためにこの世界を創る、たとえ私が死んでしまっていても)。
犯罪者には、拒絶に会うという苦悶が
そして依然として私は拒絶され続けるだろう、なぜなら私は
自分の夢でのみ生きるのだから
このどうしようもない社会でドリーマーであり続ける
人間たちは、不幸な犯罪者に違いない、

孤独な、至高のファック。


ちなみに、私は映画「スカーレット・レター(緋文字)」はリリアン・ギッシュのしか観ていない。
荘厳なイメージを壊したくなかったからだ。
淀川長治氏のコメントにいちいち頷きつつ、市川の中央図書館の映像ライブラリーでホームレスに混じって、ワイドテレビが置かれたブースで観た、リリアン演じるヘスター。

その胸には真っ赤な「A」(リリアンのはモノクロだが)。

罪人の証拠だ。夫がいる身で、不倫し、私生児を産んだヘスターが台の上にさらし者にされ、人々の好奇の目と罵詈雑言をいっさいに浴びるその姿・・・

ジェニーの感想で、その姿はさらに神聖なものになる・・・

ジェニー自身が、ヘスターに触発されて、自由に何も言えなかったヘスターの代わりに、色々な言葉を覚え、モノにし、ジャン・ジュネと出会い、旅をし、ルクソールの墓に眠るまで、言葉とともに自らを「書き殴って」昇華させる姿は実に感動的だ。

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そういう意味で。

文字通り、肉体と言葉が一体化した、この本はアメリカに限らず、世界で最高の「現代文学」だ。
ただし、そうおカタくとらえる必要はない。
高校生の私がたっぷりと影響されたように・・・

近所の女子高生、すべての少女たちにとって、有効なトランキライザーになれば、恐らく、天国のキャシー・アッカーは、ニヤッと笑ってくれるだろう。

「血みどろ臓物ハイスクール」、ティーンエイジャーのうちに読める彼女たちの幸せに、私も大いにニヤッと笑いたい。


今、星たちがあたしの頭を照らす
たった今、全世界が燃え上がればいい
誰も彼も何もかも死に絶えればいい
そしてそれからは別の世界が始まる、のではなく、別の世界になるのだ
というふうに聞いたけど
どうかしらね。


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