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2008年04月11日00:21

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犬神博士のワイ談�� 「四肢欠落フェチ&脚フェチ」

今夜のワイ談は、非常に特殊な世界です。
ハッキリ申し上げて、普通の感覚ではついていけません。
実際、聞き手の若者たちも、聞いていてものすごく引いてしまいましたが、法話で鍛えた私の語り口でもって、無理矢理納得させてしまいました。ニヤッ。

さあ、引き返すなら今のうちです。

このまま読み終えたら、あなたの心には新しい快楽の芽が頭を出していることでしょう・・・

さて。

当寺ではありませんが、あるバレリーナの娘さんが若いうちに亡くなって、葬られる際の注文を遺言として遺しました。
即ち。

「私の自慢の脚だけは切断して、防腐処理を施して、しかるべき人の管理下に置くように」

それが遺言通りに行われたどうかは知りませんが、そういう話があったんだと、祖父が教えてくれました。
「よっぽど美しい脚だったんだね」と子供の頃の私。
「ああ、でも、わしとしてはマレーネ・ディートリッヒ以上の脚はないと思ってるがね」と祖父。

それ以来。
私は女の子を見る時、まず、どこから見るか・・・
脚から見て、だんだん見上げるようにお尻、腰、胸、首、顔と順番を守って観察するようになりました。

悪友はダイレクトに、顔かおっぱいだと言っていましたが、確かにグラビア写真もそれを強調したものばかりです。
いわゆる脚フェチ向けと称するものも、脚の向こう側に「余計なもの」が見えてしまっている。

だから、小学生の時に、スカートめくりをしたのも、ほんとうの目当ては女の子のお召し物ではなく、脚そのものでした。

私は脚フェチなのだろうか?

その自覚は、中学生の時に、たった一人で美術部を創設した際、美術の先生がミロのヴィーナスについての独自の解釈を語ってくれたことで、全く違うものらしいと気づきました。

フォト


「ミロのヴィーナスに両腕がないのは、元々あったのが取れてしまったんじゃなくて、元々なかったの。元々ない女性をモデルにしたと考えた方が、ずっと想像力が膨らむでしょう?」

これは相当、私の感覚、感情、感触を痙攣させてくれました。
今までの当たり前のことがひっくり返されるという・・・何という快感。
いい先生でした、私の脚フェチらしい奇妙な性癖にも理解を示して下さって、四十前の姥桜ながら、若い頃日本舞踊で鍛えたという、見事なナマ脚を見せてくれもしました。

でも。

当時、別のクラスの生徒でしたが、片腕のない女の子がいて、義手をつけていました。

フォト


交通事故で切断してしまったとのことですが、その外見のおかげで、その子はクラスの中で敬遠されて、孤独そのものでした。
私はほとんど自閉症的になってしまった彼女にものすごい苦労をして、何とか会話出来る信頼関係を取り付けると、思い切って危険な賭けに出ました。

「君の片腕のない部分を見たい」

当たり前の反応ならば、彼女は恥じて、さらに自分の殻に閉じこもり、私のことを危険な変態だと決めつけてしまうでしょう。
しかし、私は、前もって、根気よく、熱心に、私自身の美観について説明していたので、顔を真っ赤にしながらも、義手を外して、ギュッと目を閉じてそっぽを向き、袖口の中から切断面を見せてくれました。
その瞬間の感動は、決して忘れません。
女の子特有の甘い香りを思う存分嗅ぎ、心の中で「君はそこらへんの子よりも女の子の匂いがする」と呟き、袖をまくって、切断面に鼻と口をつけると、そこから漂う赤ちゃんのような匂いと、そこにあるべき幻の腕の感触を心底堪能しました。
感極まって、切断面にチュッとキスすると、彼女は何ともいえない声を漏らし、身をこれでもかとよじりました。

それで・・・

帰りは彼女の義手ではない方の手を握って、私の家とは思いっきり逆の方向の彼女の家まで一緒に歩き、お互い手を振って別れると、帰り道でミロのヴィーナスの話から「成長」した自らの「四肢欠落フェチ」をはっきりと自覚するに至ったのです。

幼い頃、祖父が話してくれた、バレリーナが自らの遺産として両脚を切断して保存しようとしたのも・・・裏を返せば、四肢欠落フェチなればこそ、心の琴線に触れるのだと・・・

ないから惹かれるのではなく、そこに実際にあろうが、なかろうが、幻として確実に「見える」からこそ、惹かれるのだとも・・・

義手の彼女は別の高校に進みましたが、すっかり自閉症的な内向ぶりは消え失せ、女として自信を持てたようで、感謝の手紙を送ってくれました。

それから高校に上がっても、私の「四肢欠落フェチ」は静かながら、猛威をふるうばかりで、身内や友人が病院に入院すると、これ幸いと、毎日のように見舞いに行って、外科病棟をうろつき、片足切断の患者などをしっかり観察して、そっち方面の欲求を満足させていました。

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脚フェチの延長で、義足にも惹かれました。

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そして。
ついに。
私は、ジェニファー・リンチ監督の映画「ボクシング・ヘレナ」と出会いました。



http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=21401

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崇拝するあまり、女性が事故にあったのを幸いと、残りの腕と脚を切断して監禁する男の話ですが、それ以上に、父親のディヴィッドから受け継いだ、ミロのヴィーナスの過剰なイメージが私の心を滅多打ちにしました。

やっぱり、おれの「四肢欠落フェチ」は他にもあったんだ・・・!!

でも、残念ながら、映画としての出来はあまりよくなく、ただのイメージビデオとして終わったのは、世間に通用しないビザールさの宿命もあるかもしれないと無理矢理納得しました。

それから。
いよいよ。
私はとうとう、両脚切断の少女とセックスするに至ります。
高知県に滞在していたおり、現地で知り合った車椅子の少女に、中学の時と同じような過程で肉迫し、やはり両脚の切断面にキスをしているうちに、セックスに進んだというわけです。
ワイ談らしく、その時の感触を詳細に述べますと。
女の子らしく、局部を両脚を閉じることで隠せませんから、思う存分観察し放題、舐め放題で、彼女の羞恥心の肉体的表現は、幻の両脚を閉じるような、のたうち回る切断面でした。
それがますます私を興奮させ、騎乗位の際に、彼女が恥ずかしげに切断面で私の腹の上をよちよちと「歩く」様は、もっと興奮させられました。

・・・・・・

思えば。
私の心を魅了したメディアも、四肢欠落のシチュエーションは決して少なくありませんでした。
例えば、手塚治虫先生の「どろろ」も、芋虫状態の百鬼丸が妙にエロティックでしたし(一緒に読んでいた従姉は手足が生えた百鬼丸にはもう興味がないとまで言い切っています)、楳図かずお先生の「恐怖」の一篇で、死んだピアニストの手首を移植された少女の恐怖も、とてつもなくエロティックでしたし、小説に至っては、「オペラ座の怪人」で知られるガストン・ルルーの短編「胸像たちの晩餐」で、遭難船で、極限の飢えから一人の女性を五体満足で済ませるために、自らの四肢を切断して食料として提供する男たちの姿は、非常に突き抜けるものがありました。

自己満足でしかないのですが、私はいつも微笑みを浮かべながら、私と関係を持った四肢欠落の女性を思い出しつつ。

自分の身体の欠損で引きこもりがちだった乙女が、心の中からかぐわしい香りを放つ瞬間。

それは、決して、ビザールでも何でもなく、人間本来の生命力の奔流そのものなのだと。

私はつまり、外見に関係なく、生命力の奔流の瞬間にこそフェチを感じるのかもしれないと。

そのへんを、根気よく、若者たちに説明して、無理矢理納得させた次第であります。にっこり。

今夜はこのへんで・・・


おまけとして。
ようつべで発見した、非常にセクシーな動画を貼りつけておきます。



特殊ではありますが、彼女の笑顔に少しでも曇りが見受けられますでしょうか?

人間はもっとファンタスティックな存在なのです。
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