■「洗剤でガス」自殺相次ぐ…10件以上、巻き添えの危険も
(読売新聞 - 04月02日 14:35)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=449488&media_id=20
練炭ならまだしも、こういう、周囲の迷惑を考えない死に方(しかも未遂の確率が高い)は全く呆れてしまいます。
ていうか。
自殺する人って、自らの人生にケリをつけたいわけでしょう?
どんな理由であれ。
それならば、この世に未練のないように、苦しんで苦しんで苦しみまくって死ぬべきだと思うんですよね。
その方が、この世に迷うことなく、スッキリ、サッパリ、来世に旅立つことが出来る。
このへん、檀家たちにも説明していますが、私は「逆立ちして彼岸に入る」という言葉を好んで使っています。
怨霊になるためには、髪を逆立てるだけでなく、常に逆立ちして現れなければならぬ。
それは、即ち、現世(うつしよ)に対する絶対的な決別のあらわれなのであり、幽世(かくりよ)の住人としてふさわしい心構えを身につけることである・・・
簡単な話です。
練炭でいつの間にか死ぬことよりも、切腹で臓物を自ら掴みだして介錯なきその場で長く苦しみ悶えて死ぬ方が、迷うことなく、あの世に行ける。
怨霊は決してこの世に舞い戻ってきませんからね。
あくまでもあちら側に存在するだけです。
今回のニュースも、ラクに死ねると思ってのことなんでしょうけれども、結局、おのれの生命力のたくましさ、しぶとさを苦しんで思い知っただけのケースに終わる確率が高い。
ラクな死に方の選択はかえって酷い目にあうだけです。
首つりや飛び込み、飛び降りも、死ぬ瞬間を強烈に記憶するという意味で、その場にいつまでも留まってしまうわけで、サッパリ出来ません。
従って、恐山のほとんどのイタコたちが、ハンパに自殺した仏たちは呼びにくいと口をそろえるのです。
「結局、生き損ねたもんは、おんなじように死に損ねるんだべ」
ただし、終戦直後に敗戦の責任を取って割腹を遂げた軍人の霊は呼べたそうですから、自殺も生きることと同じように、いかに満足して死ぬかってことなんですよね。
だから、ますます、死の瞬間に至るまで、生命力の最後の一滴までも「活用」するべきです。
その通り。
結局のところ。
いかに生きるか、この世に在る限りは、とどのつまり、どうやって生きるか、それしかないのです。
ラクな死に方を選ぶのは、悪い意味でこの世に執着していることのあらわれで、とても完全なリセットとは呼べませんね。
この世でもなく、あの世でもない、ハンパなどこかに「逃げ隠れる」だけです。
というわけで。
ネットで自殺の方法を検索するならば、是非、切腹を選択することをオススメします。
一般的に、首つり、飛び降り、ガス自殺なんかよりも、切腹が特別な目で見られるのは、とても常人には出来ない死に方だからということをよくふまえた上で、幾度も幾度も、自らの臓物が湯気をたてて腹の裂け目からあふれ出てくるのをイメージトレーニングすることです。
そうすれば。
ちゃんと死ねる方法は、結局、ちゃんと生きることに他ならぬことに気づくことでしょう。
自殺防止キャンペーンなるものに当寺が協力した際の「標語」をここでも繰り返します。
Fight the death, Fight the life.
「死と闘え、生と闘え」
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