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2025年10月29日22:30

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緊迫化する中東情勢(16)シリアの国づくりへ向けて 第3回(後編)第4章から第6章 トルコでのクルド人組織PKKが解散する シャアラ大統領の国連演説。イスラエルとの戦い

<緊迫化する中東情勢(16)シリアの国づくりへ向けて 第3回(後編)第4章から第6章 トルコでのクルド人組織PKKが解散する シャアラ大統領の国連演説。イスラエルとの戦い 最新2025年4月から10月の情勢>


第1回目 2025年3月6日付 暫定政府のシャーム解放機構とは?シャアラ暫定大統領の素顔 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1989532957&owner_id=32437106

第2回 2025年4月8日付 シリアの国作りに向けて続編 2025年3月6日から4月7日迄 3月上旬のラタキア県での武力衝突。暫定内閣発足
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1989742339&owner_id=32437106


 目次

・第3回前編 第1章から第3章 2025年10月27日更新
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1990962570&owner_id=32437106

・<前編 第1章から第3章の振り返り>
・第4章 シリア情勢を左右するトルコのクルド勢力PKKの穏健化
・第5章 イスラエルとの争いが勃発する。
・第6章 国連演説へ 第1回国会議会選挙が開始される



     <前編 第1章から第3章の振り返り>


第3回の前編では、2003年のイラク戦争時から、シャアラ大統領の歩みについて語った。欧米諸国は、シャアラ大統領をイスラム国の創設者バクダディと共に過激派と認定していた。米国は、逮捕に対する1000万ドル(約15億3600万円)の報奨金をかけながら、2024年12月20日に撤回している。

そもそもイスラム過激派とは、欧米がつけた名称である。各国から正式に認められた政府の転覆を狙い、自爆テロを行う組織のことをさす。キリスト教が根付く西欧諸国からイスラム過激派と一括りにされる中、それぞれ組織ごとに目標は大きく異なっていた。国際的に指名手配されたイスラム国の創始者バクダディは、カリフ制国家を掲げ、コーランの内容を厳格に解釈し、多様性を認めなかった。シャアラ大統領は、偶像崇拝に比較的慣用で、イスラム教らしからぬシーア派の一派アラウィー派を信仰するアサド大統領を嫌っていた。ただし、他の宗教やシーア派を認めず、サラフ時代の原初イスラーム復古を掲げるバクダディとは相容れない関係だったのである。バクダディが一方的にイスラム国としての国家宣言した2013年頃から、西欧諸国に自らの身の潔白を訴えていた。2024年12月8日に、首都ダマスカス入りして以降、民兵組織を統合して「国軍」を創設し、各宗教宗派に配慮した暫定内閣を発足させた。常に反抗勢力によって、妨害され、前途多難を極めている。後編では、隣国トルコで動き出したクルド人系の組織PKK(クルディスタン労働者党)の行方を分析し、イスラエルとの国境問題について検証する。


     第4章 シリア情勢を左右するトルコのクルド勢力PKKの穏健化

必  文章の末尾にクルド人に関する日記の一覧を掲載。


シリアの行方を左右するのは、クルド人である。国を持たない最大の民と呼ばれ、人口3000万から4000万規模といわれる。主にイラン北西部からシリア、イラク、トルコの4カ国にまとまって暮らす。地続きのクルド人の居住地を「クルディスタン」という。それぞれの4国では少数派で、差別を受けてきた。国を離れる人々も後をたたない。日本でも推定3000人のクルド人が暮らしている。そのうち人口7万6157人の埼玉県蕨市に最大のコミュニティーを持ち、2000人が居住している。日本人は、クルド人を特別視していた。蕨市と隣接する川口市を含めて、居住地域を「ワラビスタン」と呼ぶ傾向にある。難民として入国したクルド人は、日本での永住権の取得にはハードルが高い。難民ビザを取得すると、条件付で就労が認められる。主に人手不足の飲食業や解体業に従事しながら、食いつなぐ。職を失えば、在留資格は取り消され、国外退去を命じられる。在日クルド人の多くは、不安定な生活を送っていた。



不遇な立場に置かれるクルド人の最大組織が、トルコ国内で活動するPKKだった。結成までの経緯を辿ると、1978年に遡る。マルクス・レーニン主義、革命的社会主義、クルド民族主義を融合させた組織として立ち上がった。トルコ国内の人口比2割を占めるクルド人の権利を求めて、結成当初の1984年には分離独立を掲げていた。中央政府との軍事衝突で推定4万人が命を落としている。創設者オジャラン氏は、1999年にトルコの治安部隊に逮捕され、刑務所に収監されていた。

写真=2025年2月27日 シリア北東部ハサカ県にて、オジャラン氏の旗を掲げる群集たち(出展:ロイター通信)掲載元 THE SANKEI SHINBUN 2025年2月28日午前8時57分付 https://www.sankei.com/article/20250228-U5FVWJV2IFKPHMVLFLWKOJZMKM/
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収監中にマルクス・レーニン主義は放棄している。2023年11月、イスタンブールにて、PKKによるテロが起きて、死亡者8人、負傷者81人を出した。欧米の国々はPKKをテロ組織と指定している。トルコ政府と大きな衝突はなかったものの、ひそかに活動を続けていた。事態が動いたのは2025年である。2月27日にオジャラン氏が、平和的に歩むとの路線変更から、刑務所の中で解散を表明したのである。クルド人の権利拡大へ向けて、自治を訴えていく方針へと転換した。5月12日に正式に解散を宣言した。

 詳細 PKKの解散について BBC NEWS JAPAN 2025年5月13日付
https://www.bbc.com/japanese/articles/czxyvz4vk7xo

PKKとトルコ政府の間を、同国のクルド系野党、人民平等民主党(DEM)が仲介する。7月7日に、政権与党第一党、公正発展党に属するエルドアン大統領と対談が実現したと明らかにした。「武装解除のプロセスを互いに協力して進める意思」を共有したと、公の場で説明する。トルコ大統領府からコメントはない。DEMの代表団は、既に前日となる7月6日に、刑務所に収監されているPKKの代表者オジャラン氏と面会していたと明かした。76歳になり、刑務所で26年も生活していく中で、武装闘争する元気をなくしていたのである。
 
武装組織として解体したことを示すため、7月11日にイラク北部のクルディスタン地域にて、儀式を開く。組織の幹部が声明を読みあげると、30人の兵士が焼却炉の中に順々に武器を入れていった。トルコとイラクの情報部門関係者、イラクのクルド人自治区当局者、トルコのクルド系野党、人民平等民主党(DEM)の幹部らが出席した。

 写真=7月11日のイラクでの解散儀式 掲載元 詳細記事 ロイター通信 2025年7月12日午前 3:06
https://jp.reuters.com/world/security/4QK2RNAZHBJLZHHP3O22ZCI7XU-2025-07-11/
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シリアのクルディスタン地域を支配していたSDFは、2025年3月9日にシリア国軍へ統合された。国を持たない最大の民と呼ばれるクルド人は、武装闘争を諦め、それぞれの地で同化しようとしている。

 PKKの武装解除でトルコ国内においては、エルドアン政権の安定化にはつながった。改めてPKKは、10月26日付けでイラク北部ガンディル山にてトルコ政府向けに声明を読み上げた。同国から戦闘員の完全撤退と引き換えに政治参加を可能にする措置を要請した。武装解除と統合プロセスへのコミットメントを反映させるものであると主張する。トルコ大統領府のドュラン報道官は、撤退については歓迎する。政治参加の可否は、エルドアン大統領次第だった。独自の言語や文化を持つクルド人は、トルコにおいて政治参加することで、少数民族としての権利を求めていく方向に舵を切った。シリアにおいても独自の軍隊SDFが国軍に統合し、治安維持の役目を担っている。

   第5章 イスラエルとの争いが勃発する。

 シリア情勢で鍵を握る存在はイスラエルだった。既に2024年12月8日に、暫定政府の中心を担うシャーム・解放機構がダマスカス入りした際、IDF(イスラエル国防軍)は、動き出していた。同月早くもゴラン高原への駐留部隊を増強し、進撃の準備を進めていたのである。既に1974年からゴラン高原は、シリア領でありながら、イスラエルが実効支配している。既成事実化を図るため、軍事制圧地域の拡大が必要だった。軍事作戦の名目は、シリアに暮らすイスラム教のドゥールーズ派の保護である。イスラエル国内にも推定1万5000のドゥールーズ派の住民が暮らしている。そのドゥールーズ派は、教義内容からイスラム教スンニー派の原理主義者から差別意識が強かった。同国のサール外相は6月30日に、シリアとレバノンとは和平合意の容易はあるものの、ゴラン高原は手放さないと宣言した。

 詳細 サール外相の発言 時事通信 2025年6月30日22時01分付
https://www.jiji.com/jc/article?k=2025063000982&g=int

 7月12日、シリアとイスラエルの当局者が、アゼルバイジャンの首都バクーで実務者レベルの協議をした。双方に通じる匿名を語った外交筋が明らかにした。シャアラ暫定大統領は、ゴラン高原に緩衝地帯を設置した1974年の兵力引き離し協定の遵守を求めていたのである。協議内容は明らかになっていない。

 詳細 7月12日の実務者レベルの協議について 時事通信 2025年7月13日7時33分付 https://www.jiji.com/jc/article?k=2025071300099&g=int

シャアラ大統領は、実務者協議が行われる中、バクーにてアゼルバイジャンのアリエフ大統領との会談に臨んだ。アゼルバイジャンは、シャーム解放機構時代にサポートされたトルコとは兄弟国の間柄である。アルメニアとの係争地ナゴルノ・カラバフの帰属権をめぐって、イスラエルから武器を輸入していた。領土問題を抱えるイスラエルとの仲裁役、トルコを通じた関係強化に向けて、アリエフ大統領を最良のパートナーに選んでいた。
両首脳はエネルギー分野における協力の深化を誓約する。両国の関係を再構築することで一致した。トルコ経由でシリアへのアゼルバイジャン産天然ガスの輸出計画を推し進める。シャアラ大統領は、アゼルバイジャンによるシリアのエネルギーやインフラ再建における潜在的役割にも期待した。アサド政権時代は、他国から阻害されていた。シャアラ大統領は、テロリストではなく、多様性のある国を束ねる一国の主だとアピールする。外交成果は着実に実を結んでいた。

写真=7月12日にバクーで撮影されたシャアラ大統領とアリエフ大統領 出展:AFP通信 詳細記事 掲載元 KWP News 2025年7月13日付
https://kagonma-info.com/c0018/leaders_of_azerbaijan_and_syria_discuss_20250713/
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 イスラエルと隣人として協力関係を築くには、難しい事態に陥っていた。7月16日に、イスラエル軍(IDF)は首都ダマスカスのシリア暫定政府の本部を狙って空爆した。シリア暫定政府によると、一連の攻撃による被害で、死亡者3人、負傷者34人と発表した。

 シリア国内において、7月13日以降、南部スウェイダ県でドゥールーズ派の住民と、ベドウィンの武装勢力が衝突していたのである。ベドウィンをシリア国防軍が支援しているとして、IDFは軍事介入の口実ができた。シャアラ大統領は7月17日、テレビ演説をする。「イスラエルは再び、われわれの土地を果てしない混乱の舞台に変えようとしている」と国際社会に助けを求めた。シリア国営通信は7月16日の夜、ダマスカスの空爆を受けて、南部スウェイダの治安部隊として派遣したシリア国軍は撤退していると、報じている。

 写真=スウェイダ市と首都ダマスカスの位置関係 掲載元 読売オンライン 2025年7月17日午前8時30分付け https://www.yomiuri.co.jp/world/20250717-OYT1T50028/
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 戦争する意思を放棄することにより、周辺のアラブ諸国やEUへ国づくりをサポートしてくれる。イスラエル側も一方的な領土侵害は、国際社会からの非難を浴びかねない。
国連でも7月17日に緊急会合が開かれた。米国は、2日間に渡って事態の沈静化へむけて奮闘していると、平和貢献へアピールした。「イスラエルとシリアを含む近隣国間の平和は、トランプ大統領が持つビジョンの重要な要素である」と説明した。シリア側は「国際法違反」と非難する。イスラエル側は、ドゥールーズ派保護のために、軍事作戦に踏み切ったと、正当化した。在英人権団体の「シリア人権観測所」は20日、これまでの死者が1120人になったと発表した。シリア暫定政権は19日、スワイダ県の県都スウェイダ市からベドウィンの部隊が引き上げ、戦闘は止まったと発表した。シリア暫定政権のシャラア大統領は19日、即時停戦を宣言する。米CNNによると、スウェイダ市では20日、銃撃戦の報告はなかった。

 詳細 シリアの軍事衝突の停止について 毎日新聞 2025年7月21日午前7時16分付
https://mainichi.jp/articles/20250721/k00/00m/030/066000c

シリア人権監視団は20日夜、1週間にわたる衝突で1120人が死亡したと、具体的に数値を公表した。その内訳は、ドルーズ派の戦闘員は427人、対して民間人は298人にのぼる。政権側の治安部隊員は354人、一方、ベドウィン側は21人だった。(c)AFP

 IDFもガザでの軍事作戦を進める中で、シリアへの戦線拡大は望んでいなかった。シャアラ大統領は、確かに西欧諸国からテロリストとの疑念が晴れる中で、アサド政権と協力を持った国々を含めて、外交関係を築きたい。内戦で荒れた国の復興へ向けて喫緊の課題は、エネルギーの安定供給だった。IDFと国内の一部勢力との衝突に端を発した戦争により、復興の足かせになった。

 8月26日にも、軍の施設がIDFのドローン攻撃を受けたと明かした。シリア国防省当局者によると、兵士3人が死亡した。国営シリア・アラブ通信は同日、南部ゴラン高原の緩衝地帯でもイスラエルの攻撃で1人が死亡したと報じた。

詳細 8月26日の衝突 時事通信 2025年8月27日15時10分付 https://www.jiji.com/jc/article?k=2025082700626&g=int 

 領土問題を持ち出せば、イスラエルの機嫌を損ねる。そこでイスラエルの合意が得られやすい1974年に定められた兵士引渡しや国連監視団設置を決めた協定を再確認するように求めた。2025年9月17日に、シャアラ大統領は、ロイター通信のインタビューで「合意に近づいている」と手ごたえを語った。イスラエルとの争いに終止符を打ったものの、ゴラン高原の領有権を巡って、解決には至っていない。シャアラ大統領の外交能力が問われている。

       第6章 国連演説へ 第1回国会議会選挙が開始される

 9月24日には、外交成果を最大限にアピールできる国連総会の演説に望んだ。シリアの首脳の出席は1967年以来58年ぶりとなった。「『危機の輸出国』から地域へ平和をもたらす存在へと変貌した」と前アサド政権からの変貌振りを示した。近代法を採用し、全ての宗教宗派人種に開かれた社会を目指すことを誓う。イスラエルについて、対話を続けると訴えた。シリア暫定政府の施設も、空爆を受けながら、被害者感情を抑えてスピーチした。演説に先立ち、9月21日放送の米CBSテレビの番組出演時に、「国内からイランの民兵や(レバノンのイスラム教シーア派組織)ヒズボラを排除した」とアサド政権と結託した組織を追放した成果を主張していた。演説の場では、ガザ情勢にも切り込んだ。残された民間人の置かれた状況を憂慮し、即時停戦を呼びかけた。会場で見守った各国の外交官は、シャアラ大統領の人的配慮を示した姿勢に感激して、拍手喝采を送った。

写真=9月24日のシャアラ大統領の国連演説 出展:詳細記事 時事通信 2025年9月26日20時31分付
https://www.jiji.com/jc/article?k=2025092600723&g=int
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 2日後の26日に、ネタニアフ首相のスピーチでは、アラブ諸国の外交官らを中心に軒並み退席する事態に陥っていた。シャアラ大統領の演説とは対照的な反応だった。イスラエルの反シリア感情を逆なでしないように最大限に配慮した演説だったといえる。交戦勢力のイスラム教スンニー派の武装組織ハマスに対する擁護は控えていた。ただし国際世論を意識して、ガザの人々には連帯を表明する。イスラエル政府も表向きには、「ガザの民間人を標的にしていない」との立場を強調した。ただし、他国の目から見れば、「民間人を巻き添えにしてでもハマスの戦闘員を退治する」姿勢には映っている。敵一人を標的にするため、大勢の民間人を犠牲にすれば、「国際法違反」に該当する。2024年1月から、南アフリカの提訴により、ICCでは審理が続く。

 国連でのシャアラ大統領のスピーチは、名演説との声も上がる。強権的な前アサド政権との立場の違いを明確にし、国際社会からも信頼が高まった。新たに10月5日に、暫定政権発足の下で、初めて議会選挙(定数210)が行われた。なお当初から、難民の把握を含めて時間を要することから正式な政府発足の目処を5年と掲げていた。今回は、特定の役職に就いた人物のみ選挙権が与えられている。議席の3分の2は選管当局の審査を経た選挙人の投票により決まる。残り3分の1の議席はシャアラ暫定大統領による直接指名で選ぶ。シャアラ暫定大統領に権力が集中するとの見方も強まった。ただし独裁が全て悪いわけではない。物事を速やかに決めるためには、一部に権力が集中していることにこしたことはない。前アサド政権のように、法を恣意的に運用することで、民衆には正しい情報が伝わらない。言論を封じることにより、支配力を強化していた。なお第1回目の議会選挙戦においては、ドゥールーズ派の住民とベドウィンの衝突が起きた南部スワイダ県やクルド勢力が実効支配する北東部では、治安悪化を理由に投票は延期されている。シャアラ大統領は、現在はイスラム法に則りながらも「自由で開かれた社会を目指す」と宣言している。国際社会から警戒網が解かれ、国内において権力を握ると、過激派の本性が再び現れる可能性も捨てきれない。今はなお平常さを装っている。

 写真=2025年10月5日、首都ダマスカスで行われた議会選挙戦での投票の様子 出展:AFP時事通信 詳細記事 2025年10月5日17時27分付
https://www.jiji.com/jc/article?k=2025100500305&g=int
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 10月15日、第1回議会選挙戦を終えたシャアラ大統領は、ロシアの首都モスクワのクレムリンに招待された。前アサド大統領の亡命先のロシアに飛び、プーチン大統領との交渉に入った。51年に渡るアサド親子が汚した国をいちからつくり直すうえで、罪を問い正す義務がある。身柄引き渡しへ交渉に入ったとみられる。プーチン大統領が、即座に答えを出さないことは理解していた。シャアラ大統領は対立の火種を消したかった。
会談の内容は大部分が伏せられていた。ロシア軍が使用していたシリア西部タルトスの軍港と北西部ヘメイミームの空軍基地2つの施設の使用が許可されたことは明かされた。
 
詳細 ロシアとシリアの首脳会談 10月15日20時55分付 https://www.jiji.com/jc/article?k=2025101501149&g=int

写真=プーチン大統領とシャアラ大統領 出展:タス通信より
掲載元 THE SANKEI SHINBUN 2025年10月16日午前8時33分付
https://www.sankei.com/article/20251016-CA4NZSKWAVIIXIDREIOHTNTZ4Q/photo/DBZ7PG2QEZM33EXMFYQ5W3ANNM/
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 世界銀行は10月21日に、2011年から2024年まで13年に渡る内戦で破壊されたシリアのインフラ復興には、日本円換算で33兆円が必要との試算を出した。シャアラ大統領は、資源が乏しい同国において、周辺の国々との外交関係の構築から始まった。そのためには過激派の過去を捨てることである。産油国のサウジアラビアやアゼルバイジャンとはパイプを築いた。権力を自身に集中させることで、外交においても指揮をとる。3月29日に発表された暫定政権の閣僚の中には、人口の多数を締めるイスラム教スンニー派を中心にしながら、キリスト教の女性やイスラム教シーア派のメンバーも名を連ねた。最大の懸案事項であるイスラエルとの領土問題の解決には至っていない。ISを含めた武装勢力やアサド政権残党を含め、反対勢力との衝突も危惧される。治安が不安定である限り、避難民の帰還は難しい。シャアラ大統領自身も欧米からみれば過激派だった過去がある。彼自身が、多様性のある社会を目指すことが出来るのか、今国際社会は注意深く見守っている。


 以下 クルド人関連の日記

 参考日記 クルド人の過去について 1923年のローザンヌ条約で自治区が取り消される

� ‖�4章 トルコ革命が起こる より
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1980818604&owner_id=32437106

 参考日記 イラクのクルド自治区について 

�◆‖�1章 クルド自治区の暗い過去
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986879033&owner_id=32437106

 参考日記 トルコ共和国100年の日より
 
�� 第2章 クルド人問題 21世紀の歩み 第3章 NATOの異端児として
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986234427&owner_id=32437106



 
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