AFCアジアカップ2024 ベスト16 日本は、バーレーンを相手に3対1で快勝し、ベスト8へ駒を進めた。
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企画1イラク戦争後のイラク 1月20日付
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関連日記 トルコのクルド人について トルコ独立100周年 10月29日付け 第3章 NATOの異端児として
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アルメニアの歴史
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今回はAFCアジアカップ企画の第2弾、2003年のイラク戦争後のイラクの2回目である。現在カタールで行われているAFCアジアカップにおいて、イラク代表チームは、2対1で勝利した日本戦を含め、1次リーグを3戦全勝で首位突破した。快進撃を支えたのは、3試合で5得点を上げたエースのアイメン・フセイン(1996年3月22日生まれ)だった。
2007年大会以来17年ぶりの優勝を掲げるチームは、ベスト16でのヨルダン戦でおもわぬ展開が待ち受けた。相手に先制を許すものの、アイメン・フセインの大会6点目のゴールにより、一時は2対1で勝ち越した。そのアイメン・フセインのゴール後の草を食べるようなパフォーマンスが、審判から侮辱行為と判断され、1試合2枚目のカードにより、退場処分が下った。結果チームは、ロスタイムに2点を失い、2対3で再逆転を許し、ベスト16で敗退した。
アイメン・フセインは、大会で一躍ブレイクを果たしたものの、悔いが残る結果となった。クルド人が数多く暮らす彼の故郷であるキルクークの様子と共に、生い立ちにも迫っていく。
写真=日本戦でのアイメン・フセイン 【写真:ロイター】
第1章 クルド自治区の暗い過去
国を持たない最大の民と呼ばれるクルド人は、イラン、イラク、トルコ、シリアに跨る地域にまとまって暮らす。4つの国では、少数派となり、政権から弾圧された過去がある。
イラクにおいては、悲惨な悲惨な現状があった。1980年から1988年までの9年にわたるイラン・イラク戦争において、クルド人も巻き込まれた。当時のフセイン政権は、イラク国内において体制転換を狙い、クルド人がひそかに敵国であるイランに協力していると決め付けていたのである。1988年2月から9月にかけ、サダム・フセイン政権はクルド住民たちを掃討する「アンファール作戦」を決行した。“アンファール”とは、コーランにおいて、「戦利品」を意味する。わずか7ヵ月あまりの間に、18万人が犠牲になったといわれている。同年3月16日には、イラン国境に面したハラブジャの街に化学兵器が投下され、サリン系のガスなどで約5千人の命が奪われた。フセイン政権崩壊後、クルド人に対する虐殺行為が明るみに出た。2003年末に米軍によって、潜伏先が突き止められ、逮捕されたフセイン元大統領は、検察から13件の罪で起訴された。2005年10月から裁判が始まった。罪状は、イラン=イラク戦争中の82年のドゥジャイル村でのシーア派住民148名の虐殺、クルド人に対する化学兵器による虐殺(アンファル作戦)などを含む。2006年11月5日、高等裁判はドゥジャイル村事件のみで「人道に対する罪」を犯したと認め、死刑判決を出した。12月26日にはフセインの控訴を棄却して、わずか4日後の30日に処刑した。
フセイン亡き後のイラクは、米英軍の下で、スンニ派、シーア派、クルド人の3者による権力分有型の議会を運営する方向でまとまった。1991年4月、湾岸戦争後、米英軍が、イラクの難民流入を防ぐ目的で、クルド人がまとまって暮らす北緯36度線以降を飛行禁止区域に設定したことにより、イラク軍の統制が及ばなくなっていた。クルド自治政府(KRG)は、独自の軍隊を持ち、外交権も獲得している。クルド語を公用語とし、イラクの中央議会にも進出し、民族として容認された。
フセイン時代の弾圧から開放され、自由を謳歌したクルド人の平穏は長く続かなかった。2014年6月29日、政治が混乱している国々に付け込む、ISIS(イスラム国)が、クルド自治区に進駐したのである。一時は英国程の広さを獲得し、600万の住民を配下に置いていた。イラク正規軍は、戦いによる犠牲を避けて、ISIS対策に手をこまねいていた。NATO諸国も黙って成り行きを見守っていた。ISISが勢力を拡大することにより、中東の政情は不安定になり、原油の供給も途絶えかねない。そこで米国が中心となるNATOは、クルド人を含む組織に軍事支援をした。クルド自治区の軍隊ペシュメルガは、NATO諸国の駒として利用される。クルド人が多く暮らす自治区の外側のキルクークに、ペシュメルの軍隊が入城する。同地域は、油田が見つかったことにより、中央政府の管轄に置かれている。キルクークの住民は、自治政府KRGが完全に独立し、併合されることを望んでいた。
以下 東洋経済ONLINE 2017年9月25日付
https://toyokeizai.net/articles/-/189847?page=3
大規模油田のあるキルクークは、イラク中央政府も手放せない事情がある。クルド人との係争地でサッカー選手のアイメン・フセインは、アラブ人のスンニ派の家庭で育った。1996年3月22日生まれの彼は、幼少期から頭角を現す一方、心に深い傷を負った。2008年に、父親がアルカイーダ系組織の襲撃を受けて、死亡した。2014年以降進駐したISISによって、家族離散の運命にあう。兄が戦闘員に連れ去られ、消息を立った。住み慣れた家は空爆で破壊され、一家総出でキルクーク市郊外へと移住したのである。一時は難民となった彼は、父と兄を思い、プレーを続けている。
キルクークの北側に位置するクルド人自治区は、イラクとは切り離されていた。湾岸戦争後、米英軍が自治区の境界を示す北緯36度線以北を飛行禁止区域に指定して以降、アラビア語を話すイラク人との交流は確実に減った。現に2017年時点で30歳以下の若者の9割は、アラビア語の理解が不十分だという。4カ国に跨るクルディスタンと呼ばれる地域にて、最もイラク国内において、独立の気運が高まっていた。1991年時点で自治権が容認され、住民投票において、独立が認められていた。近隣の国々は、黙って見過ごしているわけではない。イラク北部の自治政府KRGが独立すると、トルコやイラン、シリアのクルド人居住区でも、独立運動がおきかねない。トルコは、早くからイラクの国境地帯に軍を集結させ、クルド人をけん制した。
第2章 ISISとの戦い
クルド人は、米英を中心とした有志連合軍から、武器供与を受けて、ISIL掃討作戦に貢献したことにより、イラクの中央議会で独立の主張をしやすい環境を整えていた。2017年12月9日に、サッダーム・フセインが去った後の2代目の首相となるアバディ氏が、首都バクダードで、ISISの戦いでの勝利宣言をした。ISISからイラクを守ったのは、前線で戦ったクルド人部隊ペシュメルガだった。2016年の戦いは、苛烈を極めた。米英の支援を受けたペシュメルガが、イラク第2の都市であるモスルに迫る中、ISISは、防御をきっちりと固める。人権を無視して、ISISは女性や子どもを含む数万人を拉致し、モスルの中心部に強制的に配置した。「人間の盾」とすることにより、ペシュメルガの攻撃意思をそぐ狙いを持つ。進軍を躊躇させることにより、建て直しを図ったのである。国連の当局者がこのほど語ったところによると、ISISはモスルの周辺地域に住む約8000世帯の家族を拉致した。銃を突き付けて脅迫しながら同市まで連行する。国連はISISが拠点を置くモスル南郊の街の人口について、以前の2万3000人から6万人に急増したと発表。街の攻略を図るイラク軍は、作戦を遂行する上で多くの民間人の存在が懸念事項だとの認識を示した。
モスル奪還作戦に参加するイラク北部クルド地域政府の治安部隊ペシュメルガの幹部も、モスルへの進軍の速度を緩めていると明かした。「民間人の生命を守るため、作戦行動は慎重にならざるを得ない」という。
詳細 モスルでの人間の盾について CNN.jp 2016年10月31日付
https://www.cnn.co.jp/world/35091407.html
11月1日に成果を上げた。イラク治安部隊約5万人、クルド人自治政府の治安部隊ペシュメルガ、イスラム教スンニ派の部族兵士、シーア派の民兵たちが一致団結して、前線を突破したのである。2017年1月にはモスル市東部を制圧したものの、ISISが人間の盾として利用することにより、その後の攻勢は慎重になった。それでも進軍速度を緩やかに進めながら、確実に攻略する。2017年7月、ISISは西部地域陥落が迫る中、自爆テロを駆使して、抵抗を試みた。作戦が始まった2016年10月には、推定6000人と見られたISISの戦闘員も、2017年6月には推定300人以下まで減少していた。7月10日に、モスルにアバディ首相が入り、旧市街のチグリス川沿いにイラク国旗を掲げ、開放宣言をする。
詳細 写真 CNN.jp 2017年7月11日付
https://www.cnn.co.jp/world/35104050.html
モスルの市民は、はれてイラクの一員として歩み始める。
第3章 ヤジディ教徒の弾圧事件
ISIS掃討作戦には成功したものの、手放しで喜べる状況ではない。復興予算は。旧市街地区の再建にかかる費用だけでも10億ドル(約1100億円)にのぼるとみられている。何よりも人々の尊い命が失われていた。同地域に暮していたヤジディ教徒は、異端扱いを受け、ISISから弾圧されたのである。男性は殺害され、女性は奴隷として売り渡された。ISISは実行支配地域において、約3,000人を超えるヤジディの人々を殺害。6,000人以上を誘拐し奴隷化。未だに2,950人の行方が分かっていない。事態を重く見た国々は、一連の虐殺行為に関わった犯罪者の捜索に当たる。ドイツでは、2021年11月30日に、イスラム国の戦闘員に対する裁判が行われた。被告はイラク国籍のタハ・アル=ジュマイリ。イラクからトルコを経由して、2018年テロ活動を目的にギリシャへ渡った。翌年ドイツ人の妻と共に、現地ギリシャ当局で身柄を確保された。彼は妻の国籍であるドイツへと移送され、2020年に訴追された。被告の容疑は、複数ある。2015年、ISISの戦闘員としてイラク中部のファルージャで暮らしていた際にイラクの少数民族ヤジディ教徒の女性と彼女の5歳の娘レダさんを奴隷として「購入」し監禁した。レダさんを「お漏らしをした」罰として50℃にもなる炎天下のもとに晒し、死亡させたのである。フランクフルト高等裁判所は、ジェノサイド、人道に対する罪、また人身売買の罪を認定し、法廷の最高刑である無期自由刑を言い渡した。なお、被告には、レダさんの母親に対して50,000ユーロ(約640万円)の賠償金の支払いを命じている。ヤジディ教徒の権利保護を訴えて、2014年に設立した国際NGO Yazdaも、今回の判決を「歴史的」として評価した。ドイツでは、戦争犯罪、ジェノサイドに関しては、「普遍的裁判管轄権」を採用している。ドイツ国籍、またはドイツ国内で起こった犯罪ではなくても、容疑者の身柄を移送されれば、法によって裁くのである。現に今回有罪認定され、無期自由形を言い渡された被告は、イラク人だった。イラク国内で起こった犯罪にも関わらず、容疑者が身柄を確保されたギリシャ当局から、裁判権を委任されたことにより、訴追したのである。
なお先に先に妻のジェニファー・ウェニシュ被告の裁判が結審していた。2021年10月にレダさんの救助を怠ったとして人道に対する罪で有罪判決を受け、禁固10年の判決が下った。他にも元ISISの戦闘員がドイツに身柄を移送され、ヤジディ教徒に対するジェノサイドに関わった容疑で裁判を受けている。
ヤジディの人たちの迫害は、2014年8月に始まった。初めにターゲットとなったのは、イラク西部のシンジャール地方にあるコチョ村である。戦闘員が村を包囲し、1700人の村民を2週間にわたって、閉じ込めた。8月15日に1,250人のヤジディ教徒が虐殺、または奴隷として売られた。子供は拉致して、強制教育を施し、戦闘員に仕立て上げた。2018年にノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラド氏は、コチョ村の出身で、ISIS兵士に奴隷として売られた経験を持つ。彼女自身は、ISISの暴虐な振る舞いについて告発し、戦闘員を法で裁く必要性を訴えた。もう一人の受賞者のコンゴ民主共和国出身の産婦人科のムクウェゲ医師は、内戦で暴力が蔓延する同国の女性たちの精神ケアを含め、治療に当たった。女性蔑視や暴力の根絶を訴えた二人は、世界に大きな影響をもたらした。
写真 左側ムラド氏 右側ムクウェゲ氏 2018年12月10日ノルウェーの首都オスロでの授賞式にて (AP=共同)
イラクのヤジディー教徒が多いコチョ村の中には4つの集団墓地が作られ、虐殺から7年経った2021年現在も、発掘作業と被害者の認定、そして再埋葬が続いている。
イラクのクルド自治区では虐殺の始まった8月3日を「ヤジディ教徒虐殺追悼記念日」と制定し、犠牲者への追悼の日としている。国連も2021年の5月、長きに渡る調査の結果を経てISISのヤジディ教徒に対する攻撃をジェノサイドである認定した。
詳細 ヤジディ教徒に対する裁判 World Voice 2021年12月7日付
https://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/makino/2021/12/isis.php
古くからイランで発祥したゾロアスター教の流れを汲むヤジディー教は、太陽神ミスラを信仰の対象にする一神教だった。クジャク天使マラク・ターウースを地球の創造主とみなす。現在クルド人が主に信仰していた。他の宗教への改宗を認めず、キリスト教の聖書、イスラム教のコーランのような経典はなく、年長者から代々口承で伝統を受け継ぐ。
イスラム原理主義が嫌う偶像崇拝をすることにより、異端と断罪され、迫害の対象となった。イスラム教は、クジャク天使マラク・ターウースをとりわけ蔑視していた。ユダヤ教においてもマラク・ターウースは、信仰の対象となり、人類の祖アダムを想像したとの言い伝えがある。クジャクが尾羽を広げ、太陽光に照り映える姿に、人々は畏敬の念を抱き、神の使いと信じるようになった。一方7世紀に普及したイスラム教においては、異なる見方をする。尾羽を広げた姿は、悪魔シャターンと同一視した。ユダヤ教徒やヤジディー教徒の信者は、太陽光を浴びて神々しい姿に写ったものの、イスラム教信者の目には真っ黒に映った。不吉な影のような存在のクジャクを信仰するヤジディー教やユダヤ教を「邪教」と決め付けた。
世界最大のヤジディ教徒の寺院はアルメニアにあった。アルメニア人の信仰の対象は、アルメニア使途協会である。人口290万の同国において、3万から4万のヤジディー教の信者が暮らす。首都エレバンから西へ30kmのアクナリッチ村、乾ききった大地に、お城を彷彿とさせる円錐形の建物が聳え立つ。ヤジディ教徒のシンボル的存在であるジアラット寺院である。空気が澄んだ日、建物の背後には、旧約聖書ノアの箱舟の漂着地といわれるアララト山(標高5156m)が聳え立つ。
写真 詳細 東京新聞 2021年8月26日付
https://www.tokyo-np.co.jp/article/126904

アルメニア人は、クルド人の一部が信仰するヤジディー教徒を受け入れていた。アルメニア人自体も、1915年オスマン帝国内で、強制移住された過去がある。水もない砂漠地帯を強制連行され、帝政内にある現在のシリア領テリゾールへ収容された。後に国際社会は、強制移住政策を「ジェノサイド」と認定した。一説によると、150万人のアルメニア人が犠牲になったといわれている。ISISによるヤジディー教徒弾圧が起こったのは、アルメニア人の強制移住政策から奇しくも100年の節目を迎えていた。
アルメニアに在住するヤジディー教徒の信者は、現在国会議員にも送り出し、権利を守り通している。宗教が保護されたとはいえ、信者の減少に直面している。その背景には、閉鎖的な社会にある。古くから地理的に切り離された山岳地帯に暮らし、細々と信仰を守ってきた。世界最大の寺院があるアクナリニチ村には、半世紀前まで信者の世帯は200軒、
2021年時点では31軒まで減少した。親が勝手に決める結婚や宗教の規則を嫌う若者たちが、西欧に移り住む傾向があるという。今では数が少なくなったヤジディー教徒達は、国内で多数派を占めるアルメニア使途教会の信者との交流を持ち、共存の形を実現している。
第4章 クルド人 独立への動き
2017年7月10日に、イラクのアバディ首相がモスルに入り、ISIS(イスラム国)との戦いで、事実上勝利宣言をすると、国内では新たな戦争の火種がくすぶっていた。
2017年9月25日に、イラクのクルド自治区内で、独立の是非を問う住民投票が行われた。自治政府の選挙管理委員会によると、72%の住民が投票所に足を運んだという。自治区の外にありながら、クルド人が多く暮らすキルクークの町では、賛成多数で可決される見通しが立ったことを受けて、多くの人々が賞賛の声をあげた。
一方、イラク政府は、かねてから独立に向けた住民投票を反対していた。現にイラク中央政府の管轄圏内のキルクークで暮らすクルド人にも、自治政府(KRG)は投票権を与えていたのである。隣国のトルコのエルドアン大統領も、イラク国内でのクルド自治区の独立運動へ神経を尖らせている。トルコ領内とイラク国内のクルド自治区を繋ぐ石油パイプラインを閉鎖すると、抵抗姿勢を示した。一方国連のグテーレス事務総長は、地域情勢が不安定になることへの懸念を表明した。
自治政府のバルザニ大統領は、住民投票において、国境線は画定していないことから、1年かけて、イラク政府と交渉すると、宣言した。
イラク政府のアバディ首相は、「国家内の全てのイラク人を守る」との声明を発表する。
詳細 住民投票について BBC NEWS JAPAN 2017年9月26日付
https://www.bbc.com/japanese/41396018
10月16日に、アバディ首相は、イラク軍をキルクークに送り込み、K1軍基地とババ・グルグル油田、国営石油関連企業の事務所を掌握したと発表した。
2014年にISISの侵攻を許して以降、キルクークの支配権が、実質ペシュメルガ(KRGの軍隊)に移っていたのである。ほぼ無欠でイラク中央軍に町を乗っ取られたことから、KRGの2つの政党の間でも分裂の危機に立った。バルザニ大統領が所属するクルディスタン民主党(KDP)は、クルディスタン愛国同盟(PUK)が、勝手にイラク中央政府に引き渡したと非難した。一方PUKは、自分達を支持する軍隊から戦死者が出たことに対して、PUKの軍隊は殉死者が一人もいないことを棚に上げて、作戦の失敗を否定する。
写真 毎日新聞 2017年10月17日付
https://mainichi.jp/articles/20171016/k00/00e/030/155000c
隣国のトルコのエルドアン大統領は、イラク中央政府の軍事作戦を賞賛する。彼は「イラク領土でのクルディスタン労働者党(PKK)の活動を終わらせるため、イラク政府とあらゆる形で協力する用意がある」と述べた。
PKKは1980年代以降、自治権を求めて戦うクルド系トルコ人の反政府武装勢力。トルコのほか、欧州連合(EU)や米国からもテロ組織とだみられている。
詳細 BBC NEWS 2017年10月17日付
https://www.bbc.com/japanese/41647835
バルザニ大統領も、トルコの支援を受けるイラク中央政府との争いを避けるべく、決断をした。2017年10月24日付けで、独立への手続きを凍結し、中央政府と和解すると、声明を出した。大統領自身も11月1日の任期切れを前に控え、9月29日付で退任を表明した。大統領の座は1年半以上の空域を経て、2019年6月10日により甥であるネチルバン・バルザニ氏が、議長として国家のトップに付いた。KRGが独立すると、クルド人が多数住む中央政府管轄区域内のキルクークの帰属権を巡って、大規模な戦争に発展しかねない。
2024年現在、クルド人の間で独立の気運が高まっても、実際はイラク国内の自治区にとどまっている。KRGも実は一枚岩ではなく、独立後には新たな争いの火種を抱えている。議会においては、バルザーニ議長ののクルド民主党(KDP)とゴラン(変革)党、クルド愛国同盟(PUK)の順で3大勢力が、意見を戦わせている。イラクから完全に独立すると、汚職問題や国家の方向性を巡り、衝突がおきかねない。国内情勢が不安定になると、今なお周辺の山岳地帯で細々と活動するISISに付け入る隙を与えてしまう。
国家を持たないクルド人は、前途多難の連続だった。2023年10月24日、中央政府のスーダーニ首相は、クルド自治区の石油パイプライン会社に対して、契約に合意すれば、トルコへの輸送再開を認めると決断を下した。トルコとイラクの間では、石油取引を巡って、軋轢があった。2023年3月に、仲裁機関の国際商工会議所(ICC)は、2014年から18年にかけての無許可輸送に対する損害賠償金ををトルコがイラクに支払うよう裁定を下した。判決を受けて、クルド自治区からトルコ国内への輸送は停止していたのである。2023年10月初め、トルコのエネルギー相は、パイプラインは輸送開始の準備が整っていると、イラク側に通達していた。対して、イラク高官は通知を受けていないと、主張していた。互いに意見が食い違っていたのである。
イラク中央政府とクルド人との間で争点となるのは、油田だった。高値で取引される石油次第、国の富の行方が左右される。自治政府も、中央政府の意向を無視して、独立すれば、武力衝突になりかねない。中央政府の軍隊と、自治政府の軍隊ペシュメルガは、ISIS掃討作戦では、協力した。独立の是非を巡って、敵対関係に変わると、国は大きく混乱する。
詳細 REUTERS 2023年10月25日付け
https://jp.reuters.com/markets/oil/6JBB6K4CENJADGM7BALZX7YTPE-2023-10-25/
中央政府のスーダーニ首相は、2023年10月7日に始まったイスラエル軍とガザ地区のハマスとの武力衝突の行方を注視している。新たに中東の治安が悪くなり、武装勢力が台頭することを恐れているのである。2011年末に一端はイラク国内から米軍は引き上げた。2014年に、イスラム国対策として、再び米軍を呼び戻したのである。2500人規模の米軍の駐留部隊の力を得ることにより、イスラム国と戦いやすくなる。一方反米勢力からテロの攻撃を受けやすい。米軍に基地提供は、両刀の剣でもある。
2024年1月23日、米軍は、イラク国内で、新イラン派のテロ組織が持つ3箇所の軍事施設に空爆をしたと発表した。米軍によると、数日前にイラクの駐留部隊が攻撃を受けて、負傷した兵士に対する報復行為だという。
スーダーニ首相は報道官を通して、声明を出した。「この容認できない行為(米軍のことをさす)は、長年の協力を台無しにし、イラクの主権をあからさまに侵害し、無責任なエスカレーションを助長するものである」
詳細 REUTERS 2024年1月25日付
https://jp.reuters.com/world/security/P2MDO6FJDBMUXLUS7SDNGHAOE4-2024-01-24/
写真=スーダーニ首相 2024年1月9日 バクダードでの様子 ロイター通信より
イラクは、確かにサッダーム・フセイン時代は、宗派や民族を超えて、統一していた。強権的なリーダーの下、クルド人やシーア派の声は抑制されていた事実を忘れてはいけない。米英融資連合軍による、イラク戦争後、一転してシーア派中心の政治体制に代わった。クルド自治区の間では、キルクークを中心に領土を巡る軋轢を抱えている。混乱した世界に変わりはない。
2011年の米軍駐留時代の相次ぐテロ事件、イスラム国との戦いに追われた2014年から2017年時と比べて、政情は落ち着きを取り戻している。
国際サッカー連盟FIFAからも、国際試合においてイラクはようやく国内でのホームゲームの開催が認められた。クルド自治政府も、独立への手続きを凍結し、中央政府と妥協しながら、治安維持に努めている。イラクは迷走状態から少しずつ変わってきている。
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