<緊迫する中東情勢2025(3)シリアの国つくり>
イスラエルと隣接するパレスチのナガザ地区のハマス、レバノン南部のヒズボラが、大きな打撃を受ける中、中東の勢力図が変わろうとしている。今回は、アサド政権亡き後、シリアの国作りに焦点を当てていく。レバノンと同じく、多数の宗教や宗派が混在する地域内で、民兵組織の統一、各組織の把握から始まり、前途多難を極めた。国を持たない最大の民といわれるクルド人との軋轢から、早くも行き詰った。2024年12月から2025年3月上旬までの出来事を時系列で紹介する。
目次
第1章 アサド政権崩壊 ほぼ無欠でダマスカスへ入城した反政府勢力
第2章 暫定政府の外交姿勢
第3章 クルド人との和解へ
前第2回 2月21日付
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1989445428&owner_id=32437106
以下関連日記
第3章で取り上げるシリアのクルド人武装組織とトルコ軍との戦いについて
�.肇襯碍�国100周年記念 2023年10月29日付 第3章 NATOの異端児として
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986234427&owner_id=32437106
�▲ぅ薀�のクルド自治区について 2024年2月1日付
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986879033&owner_id=32437106
�N拈椶垢襯譽丱離鵑領鮖法�2024年10月26日付
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1988673898&owner_id=32437106
第1章 アサド政権崩壊 ほぼ無欠でダマスカスへ入城した反政府勢力
フランス委任統治領だったシリアは、1946年4月17日に国連から独立を承認された。東隣に接するレバノンと共に多数の宗教や宗派が混在する地域である。2022年推定値で人口約2,156万、民族構成は、アラブ人約75%、クルド人約10%、アルメニア人等その他約15%である。2011年以降、激しい内戦にさらされ、人道危機が叫ばれていた。
転機は2024年12月8日に訪れた。シリアで親子2代に渡って独裁政権を続けたバッシャール=アル・アサド大統領(1965年9月11日生まれ)が、受け入れ先のロシアへ亡命したことが明らかになった。国民から信頼を失い、軍の統率権もなく、国を離れる決断をしたのである。11月27日に拠点としたイドリブから反転攻勢に出た反政府勢力のシャーム戦線(旧称ヌスラ戦線)が、首都ダマスカス入りした。ほぼ無欠で11月30日アレッポから南下し、12月5日ハマ、8日ホムス、同日首都ダマスカスへと進軍したのである。
写真=シリアの地図ルート 掲載元 ABEMA TIMES 2024年12月10日付
https://times.abema.tv/articles/-/10154820
反政府勢力の指導者シャアラ氏(旧称ジャウラニ)が、8日ダマスカスにて勝利宣言をした。今後シリアは、シャアラ氏が中心となり、アサド亡き国を統治する。
シャアラ氏は、1982年にサウジアラビアの首都リヤドで生まれた。イスラム教スンニー派の過激派アルカイーダのシリア支部に加わったものの、2016年に絶縁した。2017年にヌスラ戦線を含め、その他小さな組織を統合し、シャーム機構に加わり、第2代のアミール(首長)を務めている。シャームとは、地中海とアラビア半島の砂漠との間の,南北に細長い地域に対する歴史的呼称。ギリシャ語(古典的発音ではシュリア)に由来し,アラビア語ではシャームal‐Shāmという。
写真=シャアラ氏 2024年12月8日ダマスカスで勝利宣言する 出展:ロイター通信
2015年3月に、2012年から3年に渡るシリア政府軍との攻防の末、シャーム機構の前身となる武装勢力の連合体となるファトフ軍は、イドリブを制圧し、拠点に構える。国際的にテロ組織と認定され、イスラム原理主義と指弾された。イドリブを制圧した際、アサド政権に肩を持つロシア軍の空爆にもさらされた。反体制派を支援するトルコが仲介に入り、2016年12月に一時停戦する。ただし協定には、過激派のファトフ軍に加わるヌスラ戦線は対象外だった。ヌスラ戦線は、停戦に応じたファトフ軍を結成した武装組織と仲たがいした。イドリブ各地にて、散発的に軍事衝突が起きたのである。2017年1月、停戦に応じた5つの武装組織がまとまり、シャーム解放機構を設立した。シャアラ氏は停戦協定に加わった主流派のメンバー、シリアからイラクへかけて一方的に国家宣言したIS(イスラム国)への敵対姿勢を貫く。2019年10月、イドリブ県北部のバーリーシャー村にISの指導者バクダディーが潜んでいるとの報が入ると、シャーム機構は米国の協力に応じる。同年10月26日から始まったバクダディー暗殺計画「カイラ・ミューラー作戦」を見守った。作戦名は、ISに拉致されて、死亡したアメリカ人の人質を九余する意味合いがある。ヘリや無人機を使って、空からバクダディーの居所へピンポイントで攻撃を仕掛ける。逃げ場を失ったバウダディーは、3人の子供を連れて、トンネル内にて爆死した。
シャーム機構の指導者シャアラは、他国と強調するべく、国内のあらゆる民族や宗派に配慮すると明言した。米英はテロリストに指定しているものの、捕獲時の報奨金の支払いを取り下げている。早速国を平定するべく、シャーム国際機構は2024年12月10日、暫定の首相を傘下の「救済政府(HS)」の首相だったモハメド・アル・バシル氏を充てた。期限は2025年3月迄である、
詳細 写真掲載元 モハメド・アル・バシル氏 BBC NEWS 2024年12月11日付
https://www.bbc.com/japanese/articles/c05pm0q3ryjo
バシル氏は、暫定首相の任務として、首都ダマスカスにて、アサド前政権の幹部との会合を開いた。平和裏に政府移行を進めるべく、協議を続けていく。
転機は2011年の「アラブの春」だった。エジプトのムバラク政権、チュニジアのベン=アリ政権、リビアのカタフィ政権が、民衆の力によって倒された。シリアでもアサド政権に対する抗議の声がやまず、泥沼の内戦と化したのである。犠牲は大きかった。死亡者は推定50万人、避難民は1200万人と推定されている。
アサド政権を支えていたイランのアリー・ハーメネイー最高指導者は12月11日付けでコメントを出した。「シリアの隣国も関与しているが、主導者は米国とイスラエルだ」と非難する。「抵抗戦線の範囲は将来、これまでに以上に地域全体を及ぶことになるだろう」と見通しを語った。またシリアの将来についても言及した。「占領地は勇敢なシリアの若者によって解放され、米国もこの抵抗戦線によってシリアから追放されるだろう」
マースード・ペゼシュキヤーン大統領は12月8日、シリア社会における民族間の対話の重要性を強調した。「シリアの紛争が終結すれば、国民は外国の介入なしに、自国の将来を決定できる」とアサド政権には触れず、平和な社会を望むと訴えた。
イランの最高指導者と大統領のインタビュー JETRO 2024年12月13日付
https://www.jetro.go.jp/biznews/2024/12/e92d801f45f434dd.html
イランとしては、力を失ったアサド大統領を擁護することはない。イスラエルへの抵抗勢力拡大のため、シリアの新政府の出方を見て、場合によれば、軍事的協力を結べるか、探っていく。アサド大統領は、イランと同じイスラム教のシーア派だった。イランは、レバノン南部を実効支配するヒズボラと共に、主流の十二イマーム派。イエメンのフーシー派は、十二イマームのうち、5代目が異なる「ザイード派」である。アサド大統領は、7代目が異なるイスマイール派から分かれた「アラウィー派」に属する。教義に、仏教由来の輪廻転生を盛り込む。つまり、人は何度も死に、新しく生まれ変わることを意味する。一方イスラム教の教義では、魂は天国へいけると信じられている。サウム(断食)・ザカート(喜捨)・ハッジ(巡礼)を行っていない。ハッジは、偶像礼拝として否定している。対してシーア派の主流十二イマーム派のイランは、偶像崇拝には寛容だった。イラクのシーア派の聖地とされるナジャフには、信望する4代目のカリフを務めたアリーの廟が残る。シーア派の分派アラウィー派は、モスクを使わず、礼拝は宗教指導者の家に集まって行われることが多い。飲酒も認められている。シリア北西部に独自の神殿をもつ。イスラム教の教義らしく、女には魂がない、と教えられていた。シリアの人口比でアラウィー派はわずか14%、強権的な姿勢で国を統治していたのである。
一方スンニー派では、コーランの解釈は地域ごとに異なっていた。サウジアラビアで発祥した下位宗派といえるワッハーブ派は、神秘主義を否定し、コーランの内容を厳格に解釈する。スンナ(慣行)だけをより所とした信仰に立かえるべきだと主張する。西暦1805年には、開祖ムハンマドの廟さえ打ち壊した。1774年に宗教的に寛容だったオスマン帝国領土内で、イブン=アブドゥル=ワッハーブ(1792年没)が、サウード家と手を結び、一方的に国家宣言をした。第一次ワッハーブ王国時代には、聖地メッカとメディナを占領した。1818年に、厳格なワッハーブ派を制圧するべく、時のオスマン帝国のマフムート二世は、エジプト総督ムハンマド・アリーに討伐を命じ、一端滅びる。1823年にサウード家はリヤドを都としてワッハーブ王国を再興した。安定期を築いたものの、後継者を巡る内紛が起こった。現在のイエメンを収めていたシーア派の一派ザイード派のラシード家が、オスマン帝国の要請を受けて、1889年にリヤドを攻略しワッハーブ王国はふたたび消滅した。1925年に、サウード家は、再び立ち上がり、オスマン帝国時代にメッカの太守に任命されたハーシム家のフセイン・イブ・アリーから領土を奪い、三度国を作る。1926年1月8日、イブン=サウードが、ヒジャーズ=ネジド王国のスルタン(実質的に国王に同じ)に就任した。1932年に、サウード家が統治したアラビアの国家を意味する「サウジアラビア王国」に改称する。
サウジアラビアは、カタールと共にスンニー派の下位宗派といえるワッハーブ派に属しているものの、西欧との距離を近づけるべく、改革に勤しむ。2018年には、イランでさえ認められていた女性の車の運転を全面解禁した。2020年には、鞭打ち刑を廃止している。国の実質的な最高権力者ムハンマド皇太子は石油亡き後の世界を見据え、欧米の資本を受け入れた。イスラムの教義を遵守しつつも、近代化を推し進めていく。
第2章 暫定政府の外交姿勢
2025年1月12日、サウジアラビアの首都リヤドにて、アサド政権崩壊後のシリアの国作りを巡る会合が開かれた。中東諸国や英国、ドイツの外相、欧州連合(EU)の外相に当たるカラス(前エストニア首相)外交安全保障上級代表らが参加した。サウジのファイサル外相はシリア支援拡大のため、EUなどが科す対シリア制裁の解除を求めた。
暫定政府を運営する「シャーム解放機構(HTS)」から任命されたシェイバニ外相も出席した。ロイター通信によると、カラス氏は会議に先立ち、EUによる制裁解除の是非を検討する協議を27日本部のブリュッセルで開くと明らかにした。カラス氏が主導するEUの会議内で段階的解除で合意に達した。暫定政権がテロ組織に成り代わる可能性を懸念して、武器は対象として残したままである。
詳細 サウジアラビアでのシリアに関する会議 東京新聞 2025年1月13日付
シェイバニ外相は、会議に先立ち、年明けからサウジアラビアとカタールを歴訪している。2つの国は、内戦期から反政府勢力に武器を供与していた。5日に訪れたカタールでは、ムハンマド首相権外相に対して、内戦の復興や新政権立ち上げへのロードマップを提示する。ムハンマド外相から、人道支援をすると理解を得られた。同じ湾岸協力機構に属するUAEと共にヨルダン王国にも足を運ぶ。アサド政権を支えていたイランとロシアとも和解する意思を示した。
詳細 写真掲載元 シャイバニ外相(左側)ムハンマド・ビン・サーニ外相兼首相(右側)2025年1月6日付 NHK NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250106/k10014686101000.html
1月6日にUAEのアブドラ外相との会談において、兄弟的関係への深化に向けて議論した。AE国営通信WAMが伝えた。シリアのアブカスラ国防相とUAEのマズルーイ国防問題担当国務相も会談に同席している。UAEは、内戦下で反体制派を支持していた。オイルマネーで潤うUAEと外交的パイプを結ぶことにより、シリア経済も向上する。暫定政権は、アラブ諸国と友好関係を結び、欧米の各国から制裁解除を求めていく。
詳細 UEAとの会談 Reuters 2025年1月7日 午前10時30分付け
隣接するイスラエルも無視できない。アサド政権崩壊に乗じて、イスラエル政府は12月15日付で、ゴラン高原付近での入植地拡大計画を承認した。隣接地域には、シリアのドゥールーズ派が数多く暮らす。国際的にゴラン高原はシリア領、1967年の第3次、1973年の第4次中東戦争を経て、イスラエルが実効支配する。ダマスカスとゴラン高原の距離60km、イスラエルは部隊を勧めて、緩衝地帯を築く。実のところ1974年に、イスラエルとシリアの間で、捕虜の兵士引き渡し条約が発効されていた。協定に従い、イスラエル軍は緩衝地帯から撤退したのである。政権が倒れたことにより条約が無効になったと主張し、50年前の緩衝地帯へと再び兵を進めた。ゴラン高原には、イスラエルの入植地に、推定2万人が暮らす。国際的にシリア領であることを踏まえると、入植地拡大は、違法である。イスラエルは、全く耳を貸さず、自国領土とみなす。イギリスに拠点を置くNGO「シリア人権監視団(SOHR)」によると、アサド政権が崩壊した12月8日から12月15日まで、イスラエルの空爆が450回以上記録されている。
詳細 ゴラン高原の緩衝地帯 BBC NEWS 2024年12月15日付け
https://www.bbc.com/japanese/articles/c80vp3yxn5mo
2025年1月29日、シリア暫定政府シャーム解放機構は、指導者シャアラ氏が国の暫定トップに就任すると発表した。従って、旧アサド政権時代のシリア憲法は廃止され、立法評議会に設立権限が与えられる。シャアラ暫定大統領は、2月3日にシリアのテレビインタビューにて、今後の国つくりの見通しを語った。憲法制定の目安は3年、選挙は4年から5年先になると推測したうえで「大規模な選挙管理体制の再構築が必要である」との認識を示した。有権者の国内データーをまとめるには年月を要する。暫定政府時代には、「国際規範を適用する」と述べた。具体的な国名は挙げなかった。
詳細 シャアラ氏のインタビュー 掲載元 Reuters 2025年2月4日午前9時30分付
2月2日、シャアラ暫定大統領は、幼少期育ったサウジアラビアを訪問した。同国のムハンマド皇太子から暖かい出迎えを受けた。後に文章で、「エネルギー、技術、教育、保健の分野における広範な将来計画」について協議したことを公表した。
詳細 写真 掲載元 シャアラ氏のサウジアラビア訪問 Reuters 2025年2月3日午前9時32分
https://jp.reuters.com/world/security/7NUOF4ZFUBPVRIV5OVMA4YJTSI-2025-02-03/
2月4日にシャアラ氏は、反アサド政権の急先鋒に立っていたトルコの首都アンカラを訪問した。シリア関係者のトルコ入りは実に15年ぶりのことだった。同国のエルドアン大統領とは、シリア北東部のクルド人勢力への対応を協議したとみられている。会談後の共同記者会見でエルドアン大統領は、「クルド人勢力と共にイスラム国との戦いにおいて、シリアの新指導部を支援する用意がある」と述べた。
詳細 エルドアン大統領とシャアラ暫定大統領の会談 khb 2025年2月4日付
https://www.khb-tv.co.jp/news/15613359
2025年2月12日、シリア情勢で新たな動きがあった。前アサド大統領の亡命を受け入れたロシアのプーチン大統領が、シャアラ暫定大統領と電話協議したことを明かした。アサド政権時代から使用していたシリア国内の海空軍基地の継続使用を求めたとみられている。クレムリンの報道官によると、プーチン大統領は、シリア国家の統一、主権、領土保全を尊重すると、シャアラ暫定大統領に伝えたという。ただし、シャアラ暫定大統領から、ロシア海空軍基地の継続使用を許可したとは報じられていない。タルトゥース海軍基地とフメイミム空軍基地を失うと、中東地域で睨みが利かなくなり、対立する米国の影響力が増す。シリア側によると、プーチン氏が暫定政府のシェイバニ外相をモスクワに招待し、アサド政権下で締結した協定を見直す用意があるとシャアラ氏に伝えたという。
詳細 シャアラ暫定大統領とプーチン大統領の会談 Reuters 2025年2月13日付 午前9時10分
https://jp.reuters.com/world/security/4RYRDVOEKNMQTETWCGXDBLLGTQ-2025-02-13/
第3章 クルド人との和解へ
2月18日に、シリア国内の民族間の対話へ向けて一歩前進する出来事があった。シリア民主軍に所属する民主北部旅団のアブー・ウマル・イドリビー司令官が、SNSのXを通して、新事実を書き込んだ。シリア民主軍と内務治安部隊(アサーイシュ)は、アフマド・シャアラ暫定大統領が指導する新政権の国防省の傘下に入ると報告した。2月17日に北・東シリア地域民主自治局とシリア民主評議会の会合を受けて、意思決定したという。シリア民主軍は、クルド民族主義組織である。トルコのクルディスタン労働者党(PKK)の系譜を汲む民主統一党(PYD)の軍事部門といえる人民防衛部隊(YPG)が主導する。米国(有志連合)の全面支援により、シリア内戦に乗じて跋扈したイスラム国との戦いで前線に立った。イスラム国から解放された地域において、政治活動を展開し、治安維持も担う。常にトルコのエルドアン大統領は、同国の安全を脅かすテロ組織として、隣国のシリアやイラクのクルド人武装勢力の活動に神経を尖らせていた。
アサド政権崩壊後、暫定大統領の座についたシャアラは、宗教や宗派に配慮した国つくりを進めるうえで、国民対話大会準備委員を設置した。当初PYDは、「偏向」、「周縁化」、「排除」が見られると指摘していた。急に参加を決めた理由について、トルコの脅威が迫っているからである。事実上シリア北部で武装活動しているシリア国民軍をトルコは後押ししている。直近では2024年12月9日だった。シリア国民軍(SNA)は、トルコ国境から30km地点のアレッポ県マンビジュに進軍した際、シリア民主軍(SDF)との間で、米国とトルコが間に入り、協議した。双方、それぞれの支援勢力に対して、指示を出す。シリア民主軍は、アメリカの命令を受けて、同地域から撤退したのである。
詳細 マンビジュの行方 Reuters 2024年12月10日午前8時14分付
https://jp.reuters.com/world/security/CIW2YVRSDVIR7CNQ76S7E4WJIU-2024-12-09/
写真=マンビジュの位置 掲載元 毎日新聞 2016年8月8日10時36分付
https://mainichi.jp/articles/20160808/k00/00e/030/198000c
シャアラ暫定大統領は、シリア国民軍にも参加を呼びかけた。トルコ占領下にある自国領アレッポ県のアフリーン市を訪問する。敵対するSNAとSDFも内閣に組み入れ、民族融和を掲げる。現に年明け以降は、シャアラ大統領が、仲裁に入ったのか、SNAのクルド人地区への侵害は起きていない。現在暫定政権の影響力に及んでいない地域はユーフラテス川の東岸地域である。あくまでも高度な自治を望むPYDは、中央集権型のシャアラ氏の配下に収まるとは考えにくい。PYDの軍事部門といえるSDFの内閣への参加は、対話によって自治獲得を取り付ける狙いが見える。排外主義のトランプ大統領は、前バイデン政権以上に、支援規模を縮小することは確実視される。早くもシリア暫定内閣は、国を持たない最大の民クルド人問題に直面した。
詳細 クルド人部隊の内閣参加について Yahooニュース 2025年2月19日 午前8時12分 記者:青山弘之
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/b06c97e41a4ebd879763f3eb9ffe7a728d1b2708
2月25日、首都ダマスカスにて、国家再建に向けて、「国民対話会議」が開催された。出席者は600人、シャアラ暫定大統領は、各種民兵組織に、シリア統一軍に入るように訴えた。暫定政府の統治機関は3月1日迄、後継の新体制への引継ぎに向けて、司法制度や憲法、国家機構などテーマ別に6つのグループに分かれて討議した。なお各種民族に配慮した国つくりを勧めると公言したものの、クルド人から成る「民主軍(SDF)」は参加枠から外された。その理由は、トルコとの軋轢がある。シリア人権監視団(英国)は25日、暫定政府の軍部隊とトルコ軍が協力して、北部アレッポでSDFと武力衝突したと伝えた。軍部隊とはいえ、暫定政府から直接指示を受けた組織とはいえない。各種民兵組織の方向性を定めて、国軍として運用するまで時間を要する。トルコ軍は24日、戦闘機でアレッポを空爆したことを明かした。クルド人部隊は、新政府に歩み寄れず、蚊帳の外に置かれている。
詳細 2025年2月25日のシリアの国民対話会議について 掲載元 THE SANKEI NEWS 2025年2月26日午前8時41分付
https://www.sankei.com/article/20250226-2XZV7D7XVFJLDHH7G2JANH6CKY/
トルコ、シリア、イラク、イランに跨るクルディスタンと呼ばれる地域は、民族自決の観点から、それぞれ独立意識が強かった。もちろん全てのクルド人が、独立に向けて、武装闘争を望んでいるわけではない。2月26日のことだった。クルド人の未来を左右する出来事が起こった。トルコ国内でのクルド人を代表する武装部隊、クルディスタン労働者党(PKK)の指導者アブドラ・オジャラン氏が、PKKの武装解除と解散を呼びかける声明を出した。刑務所に31年週間されているオジャラン氏とは、トルコのクルド系野党、人民平等民主党(DEM)の議員らと繋がりが深い。議員一行が、イスタンブールで会見を開き、オジャラン氏から託された声明を読み、トルコ政府との和解を求めた。過去にも決裂した背景から、確かに難航が予想される。現職のエルドアン大統領は、PKKには厳しい姿勢で臨んできた。PKKはオジャラン氏が1978年に設立し、84年に独立国家の建設を掲げて武装闘争を開始した。米国や英国、欧州連合(EU)は「テロ組織」と指定しており、トルコ政府は「一連のテロで4万人以上が犠牲になった」と主張している。
詳細 オジャラン氏の声明 PKKについて 朝日新聞DEGITAL 2025年2月28日午前4時58分付
https://www.asahi.com/articles/AST2W66YRT2WUHBI00WM.html
写真=2014年3月21日にトルコ南東部ディヤルバクルで、オジャラン氏の巨大ポスターを背景に記念撮影する人々 出展:ロイターより
ロイター通信によると、SDFの司令官は27日、オジャラン氏の声明について「シリアの我々とは無関係だ」ときっぱりと述べた。ただし「「トルコで和平が実現すれば、(トルコが)シリアで我々を攻撃する口実がなくなる」と語り、歓迎の姿勢を示した。
オジャラン氏のトルコとの和平の呼びかけ、停戦宣言は、シリアの同士SDFへの政権参加へのメッセージが込められているといえる。表向きに各民族に配慮した政権運営を見据えるシャアラ氏は、SDFの動向も注視していた。アサド政権との戦いで、バックアップしてくれたトルコに気遣い、国民対話会議へ招待しなかったといえる。クルド人から成るSDFを排除すれば、テロのリスクにさらされ、政権運営も頓挫する。早くも岐路に立たされた。
シャアラ氏は、2025年3月4日、エジプトの首都カイロで開催されたガザの戦後復興を見据えたアラブサミットに招待された。イスラム過激派の取締りを強化するエジプトのシーシ大統領とも対面する。後にエジプト大統領府は、声明を出した。「シーシ氏がシャラア氏に対し、いかなる勢力も排除しない全シリア国民を包括する政治プロセスに着手するよう促したと説明した」
シリア国内では、難民の帰還により、人口把握さえ難しい。国際社会は、権力基盤の安定化により、シャアラ氏が、過激派としての本性を発揮するのではないか、と疑念はぬぐえない。「対話」と「外交」をスタンスに、各国への理解を求めていく。国づくりはいまだに始まったばかりである。
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