今日のニュースによると、
1891年(明治24年)に来日中のロシア皇太子ニコライが、
警備の警察官・津田三蔵に斬りつけられ負傷した大津事件について、
滋賀県立公文書館で2点の未公開資料が見つかったとのニュースがありました。
一つは、津田に関する同僚ら約80人の証言を集めた
「津田三蔵性行履歴申牒書(しんちょうしょ)編冊」(約320ページ)。
人柄について「言語は寡少にして性は温和」「やや頑固にして沈黙寡言」といった
記述が並んでいるとの事です。
もう一つは、事件前後に警察が反露派の壮士(活動家)を内偵した記録
「壮士ニ関スル書類編冊」(約470ページ)です。
大津事件は、歴史の授業でも習う有名な事件です。
対露関係の悪化を恐れて津田の死刑を求める政治的圧力に対し、
現在の最高裁判所にあたる大審院が無期徒刑(無期懲役)の判決を下し、
「司法の独立」を守ったとされています。
この時の大審院長児島惟謙が
花札賭博をしていて捕まった話は、
2020年5月22日に「司法官弄花事件」として以前日記に書きました。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975763470&owner_id=1417947
津田三蔵が何故ニコライに斬り付けたのか、その動機が明らかになっていません。
本人の供述によれば、以前からロシアの北方諸島などに関しての強硬な姿勢を
快く思っていなかったことであるとの事ですが、これには疑問もあるようです。
事件前、西南戦争で戦死した西郷隆盛が実はロシアに逃げ延び、
ニコライと共に帰って来るというデマがささやかれていて、
西南戦争で勲章を授与されていた津田は、
もし西郷が帰還すれば自分の勲章も剥奪されるのではないかと
危惧していたという説もあります。
今回の津田三蔵の周辺の人の証言の中に、
動機のヒントになるものがあれば良いですね。
津田三蔵は、5月27日に無期徒刑の判決を受け、
7月2日、北海道の標茶町にあった釧路集治監に移送・収監されましたが、
身体衰弱につき、通常の労役ではなく藁工に従事していました。
しかし、同年9月29日に急性肺炎を発病し、翌30日未明に死亡しました。
なお、明日は所用により、日記等を休ませて頂きますので、
お含み置き下さい。
【今日の一句】
親よりも 君が好きだと 駆け落ちを
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