日課の週末備忘録と、こちらを合わせると文字数オーバーになりかねない物量になってしまったので、分割することに・・・
個人情報もないし、こっちの内容は一般公開にしましょうかね。
年末年始の備忘録は未公開なので、もし、誰かがこの日記を見るとしたらコレが新年一発目の日記になるのかな?
年始なので改めて。喪中につき、新年のあいさつは控えさせていただきますが。
どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。
日記は、自分をたどる備忘録。
あの時どんな思考で生きてたのかな・・・どんな悩みが、良いことが・・・を思い出すための記録をしています。
あまり人に読んでもらう為に書いていないのが基本なので、なんだか気恥ずかしいな、とも思いつつ、もし思うところがあればコメント頂けたらそれはそれで嬉しいかな、なんて。
でも、基本は自分の為スタイルは貫きますので、ご容赦を。
では、去年の12月から思い悩むことをつらつらと・・・
・・・
ぼーっとして過ごしていたら20代も終わって、30代も1年が終わってしまった。なんとなくでも描いて、作ってをしていたら積み重ねが出来た10年間という、人生の1/3を熱意を注いだ何かが結晶になっていたんだろうけど・・・
成果を出し始めた人たちを見て焦り始める自分がいて。10年分の遅れを、追いつくためには倍の頑張りが必要で。でも自分の暮らしはそのままで・・・
焦る。焦燥感。
人生で孤独に生きていくことは自分にはできないのだろう。
独りで死ぬならだれか巻き込んででも・・・くらいの気持ちで、強気に生きて行こうだなんて思ってはいたけれども。
惨めだなぁ自分は。と思ってしまってとても悲しい気持ちになる。
コロナ禍で、自分以上に苦境に立たされている人たちがいる中で、仕事もあって飯も食えているので、辛い人らよりは全然恵まれているのだろう。
その中での悩みというのも、承認欲求の中でも上の方の悩みなのかもしれない。
でもわからないのは、求めているものが何かわからないのに、上を行く人たちに置いて行かれる焦燥感が消えない、恐れがずっと胸でくすぶっていること。
熱くなりたいのかな?
夢中になりたいのかな?
何かを好きでいたい?
自分で自分がわからない。
自分を知りたい。
自分が何者なのかをはっきりさせて、何者になりたがっているのかを理解できれば、さらなる進化も遂げられるだろう。
しかし、気が付くのが遅ければ遅いほど、きっと取り返しがつかないことになる。
あの時あれをやっていれば、という後悔。後悔はしたくない。
来週で自分も31だ。30という中でももう1年を使用してしまった。
年齢は若さのカートリッジのようなものだと最近自分で思うようになった。
もちろん、忙しい1日もあって何もできない日もあるだろう。それでも1日を消費して歳を重ねていく。
自分が何者になれるのかの可能性を増やすのかつぶすのか、それはかけがえのない日々の毎日の何かの積み重ねに隠れている。
それに気が付けなかった20代。
気が付いた30代。まだ遅くないと信じたい。
自分がまだ何かを見つけられる、何かになれると思いたい。
10月から始めた減量。あえてダイエットと呼ばないようにしているのはどこかネガティブな気持ちになるから。
デブという言葉に甘えて、行動の制約を緩めてしまう。その気のゆるみは、いつしかあらゆるものに影響してしまっていた。
日々生活する中でも、自堕落になり、自分を律することが出来なくなり、身体が重くなっていくが故にすべてが億劫になり。
デブだから、いいや。と開き直ることがどれだけ愚かな行為なのかということを身に染みて感じた。
それではいけないのだ。変わらねば。
減量は身体の強さが物を言うわけではなく、精神を問われる禅問答のようなもの。欲望に負けず、コントロールすることの必要性を理解する。
現に、成功を続けていて、目標まで10�圓魏鴫鵑辰討�た。
ので、今年の8月開始時点で60台に入れる、を最終到達地点としたいと上方修正。
自分でも驚くほど上手くいっている気がする。先日の軽いヒルクライムでも効果は感じられたし、可能性が広がることを身体で感じられた。
それはうまくいった、いっている、信じられる。
では次は創作は?となる。
界隈で、消費者でいることは決して罪ではない。
需要と供給のバランスはとても大事だけど、創作はいささか違う気もしなくもないというか。
絵とは、着ぐるみとは、創作物とは、会話であり言語なのだ。
それを通じて交流をしている人たちは、自分の作品を持っている。
自分の語りたい、好きである「それ」を具現化している。
消費する側にはそれがない。
同じラインで物を語ることはできない。
一度でも、クリエイター側に身を置いた人間は、続けて進化していく人達を見ながら歩みを止めても満足できるんだろうか。
生涯、playerでい続けることのできる趣味をしておきながら、自分は傍観者に回る。そんなことが許されるのだろうか。
神々の会話を眺めてうらやむだけで、何か出来るかもしれないのに何もしない。
それでいいんだろうか。
誰しもが同じことを考えているとは思わない。思わないが、自分はそう思う。
出来るならやるべきだ。と。
去年は立て続けに人が死ぬ話を聞いてきた。
自分の私生活にも影響が出るような話だった。
死が近い。病気があるわけでもないし、死ぬ気もないが、死ぬことを意識することは少なくはなくなってきた気がする。
焦燥感に駆られず、ストレスを感じずに走り抜けて死ねるなら、それはとても素晴らしいことだと思う。
自分は、立ち止まってしまったが故にそれがストレスになっているのが否めない。
ネガティブを原動力にした創作など・・・と、ポジティブな気持ちでやれるまで待てばいい、と数年を、貴重な若さを浪費してしまった。
許されない大罪だ。怠惰は罪だ。
どこまでやれるかわからない。効率の良し悪しだって見えてこない。
それでも、自分が愛せる何かを見つけたい気持ちに答えを見つけたい。
答えが、自分を導く光が欲しい。
それが歪んだ性癖だってかまわない。何かに狂えるならそれでよかった。
発狂しても、作品を作り続ける人達を見ていて、ただ病むだけの自分が酷く愚かに思えた。戦いから身を遠ざけておいて何を気に病むのか。
戦って死ね。
ネガティブは誰だって背負うものだ。リスクなんていつも背負ってる。2つしかない。
やるか、やらないか。だけだ。
俺は何かを成したい。
だから、やる。やるって決めたんだ。
決めたからには、我武者羅でも手だけは動かし続けていきたい、と思う。
さあ、手を動かしながら頭を回そう。
好きを探しに行こう。
今年は始まった、幕を開けた、今年はどんな年になるんだ?
自力で手繰りよせることが出来る幸があるなら、ありったけかき集めて、結果を出したいなぁと、想う年始の決意、でした。
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