年末年始にメリットがあるとしたら、親戚や友人などが一斉に休みになり帰省することぐらいですね。
集まって飲むなどのイベントがあれば別ですが、
私の場合、それが二月か三月であるという流れが知れ渡っています。また、一対一で会いますから、一斉の休みは不要です。
掃除はしなければいけないし、面倒くさいことだらけです。
この前、年配の方と話をしたのですが、
昔は、歳末に支払いでした。
「集まる金額が大きいから、泥棒が入ったら大変なことになるし、とりっぱぐれもあるだろう。支払う側も用意するのが大変だ。何でそんなヤヤコシイシステムにしたんだろう」
という話になりました。
江戸時代の西鶴、あるいは近代の織田作之助などの、庶民の生活に取材した作品をみると、歳末の支払いのトラブルの話が山のように出てきます。
数年前、盗んだ金を貯めて、茨城県取手市に大きな戸建てを買った泥棒が逮捕されたという話がありました。数十年、泥棒稼業をしたそうですが、昔だったら。大晦日だけでも家が建ったかもしれません。
どうも、人が作った制度には不合理なものがあり、あらためられるのには時間がかかるという印象です。
不合理というと、飲み会もそうです。
ある共通する考えを持っている人が、少数集まって飲む。これは今年も何回もありました。
ただ、その人数が多くなると、求心力がある人ないし、求心力のある考え方がないと、出てもあまり意味は感じられなくなります。
たとえば、入試でいうと、新テストに対するスタンスは、人によってまちまちです。
国文学でいうと、貴重な禅籍研究をやっている人が少なく、いても、僧侶、室町時代の国語研究、私のような思想…とバラバラに分かれています。
反安倍などの政治、後期高齢者問題、沖縄基地問題などの政治的な運動は別でしょうが、
ここまでいろいろなことが複雑になり、展望が見えなくなると、小グループ化していくようです。ただし、だからといって、いがみ合っているというわけではありません。
つまり、
話し合って刺戟を受けるという側面よりも、自分の考えを温めるという側面が重要です。
正月は、ごく親しい研究所の仲間の自宅に、
八海山の吟醸でも持って行きます。
うまい具合に、田舎の友人から送ってもらいました。
後は、正月の準備として手薄なもの、と考えたら、高級バターが思いつきました。
以前、同僚から、(何かの口を利いたお礼として)正月に高級醤油をもらって、感心したことがあります。それでいこう。調味料がいい。
どうせ、かまぼこや数の子は食い飽きます。
■ふるさとで年越しを 帰省ラッシュピーク、30日も混雑
(朝日新聞デジタル - 12月29日 18:36)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5439464
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