ニーナの新作に登場するデジタル・タトゥーはカラダ中に彫り込んだ情報をスマホのように操作して引き出す技術だが、私がほんとうに書きたいのは、あらゆる情報をゲームのように操作して、プレイヤーに合わせて一喜一憂出来るという、自己喪失、自己回復のはざまに位置する人格の多重性である。
例えば、今、あなたがサッカー中継をライヴで観戦していて、同時にひいきの選手をゲームで操作するようにプレイすることをもうひとつの視線で観戦すること。
そういう風に脳を使い分けること、また、使い分けないこと(そういう境地に至ること)。
元々は「ゲーム脳」という蔑みの入った言い方への反発に始まる。ゲームであっても、いわゆる“非生産的な営み”において一喜一憂の興奮を味わうのは、ナマで肉体を酷使するアスリートと同じく人生を生きることそのものだからだ。
映画「マトリックス」のように、情報さえ与えられれば、修行なしで誰でも武術の達人になれる。でもそれは果たしてかつてのあなた自身たりえるか?
自分で自分のパラレルワールドを生きてしまうという点も含めて、ほんとうのリアリティについて書きながら冒険してみたい。
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