12月から動く予定の文芸同人誌にはハードキャンディものを寄稿すると決めて、宮崎勤事件を元にした幼女連続誘拐殺人を小説で書こうと(以前、シナリオに起こしていた)書き始めたものの、読み切りでは終わらないので、新たにプロットを考えた。
そこで閃いたのが。
推理小説家志望の友人のために、エキセントリックなシリアル・キラー像を考えてくれとの希望のままに、少女をさらって殺しては水槽のなかに入れて、熱帯魚が食べたり、腐ったりして朽ち果てていくのを愉しむ男を考案したのだが、「気持ち悪すぎるから勘弁してくれ」と言われてボツになったことを思い出した。
水槽で腐乱していく少女の死体。
その時は意識していなかったが、明らかに私の大好きなピーター・グリーナウェイ監督の映画「ZOO」の影響である。
加えて、私の大好きな谷崎潤一郎の小説「少将滋幹の母」の影響もある。
一度や二度でなく、何度も繰り返して屍骸の変貌するさまを観察し、壊相や、血塗相、膿爛相を眼に馴染ませると、しまいには一室のうちにあって端座瞑目しただけで、それがまざまざと見えるようになる。いや、それどころではなく、たとい衆人の眼には絶世の美人と映ずる婦人を拉し来っても、行者の眼には一箇の忌まわしい腑肉や血膿のかたまりとして映ずるようにさえなるので、修行の功を試すためには左様な美人を実際に連れて来て眼の前に据えつつ観念を凝らすことなどもあると云う。で、そう云う功を積んだ行者がひとたび不浄観を行ずると、生きた美人がひとり行者自身の主観に醜悪に映ずるばかりでなく、第三者の眼にまでそう見えるようになる。
文中にあらわれる不浄観とは、自分、または異性の肉体への煩悩を祓うための修行で、白骨観ともいう。
この絵を見て、真っ先に思い出されるのは、我が国の小野小町が腐り果てていく様を描いた九相図である。
谷崎が書いている壊相、血塗相、膿爛相はこの九相観のうちのものだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E7%9B%B8%E5%9B%B3
こういう観念は西洋にもあり、トランジ(Transi)という。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Transi
わざわざ腐っていく様を彫刻で彫らせることで、古い肉体をこの世に脱ぎ捨てていくというアピールである。
私自身。
職業柄、死体は見慣れているのだが、さすがに腐乱死体はない。
せいぜい、第一段階の脹相(死体が腐敗によるガスの発生で内部から膨張する)までだ。そこからひとっ飛びで骨片となった状態だから、肝心の過程はきょうび、なかなか見られるものではない。
かといって、釣崎清隆氏のように死体を追いかけて写真におさめると、これまた肝心の言葉が徹底的なリアリズムの前に溶解、瓦解し、漢字さえも解体する思いにとらわれてしまうので、実行に移すことは考えられない。
第一に、文章で表現するのが一番の目的である。
一概にネクロフィリア(necrophilia)として片付けられない、九相を通しての美の再確認・・・
煩悩を祓うのが目的であるはずの不浄観によって、少女がますます美しくなっていくことの奇怪きわまる心理の化学変化・・・
谷崎もその点を小説でほのめかしていたのだが、私はもっと具体的に、かつ、濃密に書き表してみたい。
腐乱をどれだけ耽美的に描けるか・・・そこにある種のカタルシスが生まれると確信している。
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