内山亜紀(野口正之)は官能劇画史において、「事件」そのものだったと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%B1%B1%E4%BA%9C%E7%B4%80
小説家の野坂昭如がデビュー当時、その独特の文体で、三島由紀夫から文壇の奇形児と評されたように、内山亜紀もまたエロマンガの奇形児といってもいいのではないだろうか。
それは別に少女、幼女を性欲の対象としているからではなく(内山亜紀以前にも幼女とのセックスを描いた作家は結構いた)、その独特の幼女描写そのものが、それまでの官能劇画における女体描写を一気に「古くさいもの」に追いやってしまうほどに衝撃的だったからである。
初期の頃はごらんのように、まだ劇画タッチであったのだが、
少年誌への一般向け作品(「あんどろトリオ」)掲載も果たしたほど、ロリコン・ブームが盛況を極めてからは、内山亜紀にしか描けない幼女描写が進んでいる。
内山亜紀を初めて読んだのは、1980年、私が十一歳の小学五年生の時で、幼女を誘拐監禁してきたオッサンが幼女に無理矢理放尿させて悦ぶ内容だったと記憶している。
その頃はまだ劇画タッチではあったのだが、幼女の表情は劇画のように歪まずに、アニメのセル画のような変化の乏しい記号的なものになっているのに当時の私は異質な感じを受けたものだ。
そういう描写は可愛らしさを強調するには効果的なのだが、「官能的」であることのらしさをそっくり犠牲にしているように思えたからだった。
それが時代の流れであることを思い知ったのは、当時の家庭教師に連れられて早稲田大学の学園祭を訪れた時で、70年代の熱血的なものが死に絶えて、代わりに80年代のカルいものが台頭していたのを現場で感じ取ったのだ。
マイコンで作成するコンピュータ・ゲームの無機質な空間、吾妻ひでお描く女の子が踊る看板、焦げ臭いクレープと悪戦苦闘する女給姿の女子大生・・・その端っこで、中核派が仰々しい看板を掲げて誰も聞いていない演説をがなりたてている・・・
家庭教師が在籍していた漫画サークルの同人誌も、熱血的なストーリーマンガがケツに追いやられ、巻頭からは可愛い女の子が意味不明に動き回るだけのカルいマンガが並んでいた。
そういう時代の変化を具現化していたのが、内山亜紀ただ一人だったと重ねて断言しよう。
生々しいエロ劇画は死んだ。
これからはポップなロリコン漫画!!
その通り、内山亜紀の登場で、私と同世代の男の子たちは「レモンピープル」で初めてセックスというものを知ったりしていたわけなのだが、三条友美をセックスの教科書にしていた私と違って、彼らは生々しいセックスを忌避、嫌悪して、心のなかに思い描く女の子のみを愛するようになっていった。
まさに内山ワールドの増殖そのものであり、そのなかで、逆に肛姦にこだわる私はクラスメイトとの猥談に入ってゆけずに、(他にも理由はあったが)孤独な中学時代を過ごした。
そういう状況であれば、内山亜紀を逆恨みしてもよさそうなものだが、当時の私は生々しいセックスが大好きで、好みの女の子とみれば文字通り押し倒すということを繰り返していたため、内山亜紀にウットリするクラスメイトと違って、リアルに内山亜紀タイプの少女を抱けていた。そのなかで、さすがにオムツを着けさせることはしなかったが、初めて読んだ作品のように放尿してもらった。
その際。
その羞恥と屈辱に歪む表情はやはり劇画タッチではあったのだが、ぎゅっとテディベアを抱きしめて必死に顔を隠そうとするところは、内山亜紀そのものであった。
そのことを思い返して私は悟ったのである、内山亜紀が「萌え」の元祖でもあったことを・・・
現在の内山亜紀は、80年代の奇形的な幼女スタイルからさらに進んで、バランスのとれた少女描写に落ち着いているが、やっていることはちっとも変わりない。笑。
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